わかったつもりでもわかってないことは多いものだ

今日は久しぶりの意拳の練習日。先輩達と2時間半程度の「深い」稽古となりました。

意拳は中国拳法の一種ですが、その稽古では肉体鍛錬はほとんどありません。

どちらかというと、開祖が編み出した効率的な動き方を勉強し、それをイメージトレーニングで身につけようとする感じです。

なので、確かに反復練習はしますけれど、力は抜いて、とてもゆったりとした動きをすることが多いです。

なので、意拳というのは年をとった方でも取り組める武術です。

見目は太極拳をやってるみたいに見えるかもですね。

音楽はかけませんけど。

そして、武術経験の全くない人の方が上達は早いかもしれないです。

それは、「戦いとはこういうものだ」という先入観があれば、大体においてその先入観が邪魔になるからです。

今日の稽古で、そのことをより一層強く感じたわけです。

実は、始めてもう4年くらいになりますが、未だに動きの目的が理解できていないことが多いです。

武術ですから、相手をやっつけることを念頭に置いて動くわけですが、目的は同じなのに、イメージの仕方が全く違うわけです。

例えるなら、相手に当たるようにこちらが身体を動かすのではなく、こちらは力を抜いて一定の身体の形を維持することを意識する方に重きを置き、その前提条件の範囲内で相手と渡り合うといった感じ。

自分自身まだよくわかってないので、皆さんにはわけがわからないでしょうが、現在の自分のイメージはこうなんです。(先輩達には「違う」と言われそうですが)

とまあ、今日はそういうことに気付く稽古であったわけです。

もう何回も稽古会をやってますが、その度にこういう気付きがあります。

今日わかったと思っていることも、次はまた違っているかもしれないなと、ある意味深い、取り組みがいのあるものに出会えて本当に良かったと思っています。

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