(続きの番外編)子どもの世界観は小さいか?大きいか?

先日、人の世界観の話を書きましたが、カウンセラー仲間から別の視点で話を聞きましたのでご披露しますね。

関連記事  人が生まれてから死ぬまで、世界はだんだんと広がっていくのだろう

この記事の中で、私は「子どもの世界観は大人より小さい」と断言したわけですが、彼女は次のような見解を示しました。

 

子どもの世界観は圧倒的に大人よりも大きい。もしろ無限だと思う。

これを親がしつけをして、いろんな制限をして、狭めて行っているという面もあるよねー。

 

さすが、子育て真っ最中のお母さんの言葉。確かにそういう考え方も大アリだと思いました。

それと、世界観や認識について語ろうとするときには、やはり一定の「定義」あってのことなんだなと、言葉って本当に難しいなと感じたところです。

そう、子どもからすると、この世は無限の可能性の世界。自分の思いつくままになんでもしたいことをできる。

というか、「制限がある」という認識がない。ひどい言い方をすると「何も無い」

でも、自分の思いつくままに、自分の欲求が求めるままに行動していると、同じように自分の思うがままに行動する他者と出会ったときに、弱肉強食の勝負になってしまうこともある。

だから親は、子どもが社会で上手くやっていけるように、躾や教育をするわけですね。

 

さて、彼女が言ったことも正しいけど、こういったことをわかるように表現するって、本当に難しい。

子どもに備わった、本人の自我とは全く関係のない、ただその人が持って生まれた世界

そして、私がブログで書いた「子どもの自我が認識する世界」

こんな感じかな?

こうやって世界観や考え方の定義を考えながら書いていると、こういうのが次元っぽいものなのかな?なんて妄想したりする。

 

人の自我とは関係ない究極の自然の法則と、人間が認識している(見えている)世界

実はそれぞれが本当に存在する世界

 

だから私は後者の「人が認識する世界観」について話しているのだ、ということになるのだけど、彼女の言った「子どもが生まれもって与えられる無限の自由の世界」。素晴らしい世界だけど、人の集団が上手く生きるために学ぶ必要最小限のルールによって、その世界は制限を受け、子どもの認識する世界は一定の限界を持つことになる。

 

「ただ存在するだけの世界」から「自分が見ている世界」へと変化する。

 

そして、親の躾や学校の教育が働きかけることによって、そして、その「働きかけ方」によって、人は「これはよいこと」「これは悪いこと」というふうに「思い込み(ビリーフ)」を作っていく。それも一律ではなく、十人十色の考え方を・・・

こうやって考えていくと、量子論的にも言われているけど「この世界は人間の意識が作り出している」というのがわかるような気がします。なんとな〜くですけどね。(笑)

古代ギリシャの哲学者じゃないけれど、こういうとりとめのない話をするのって、実は大切なことなんだろうと思います。

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