「関心がない」は「どうでも(どうなっても)いい」

お久しぶりです。

新型コロナウイルスの発生と国内、海外の状況や飛び交う情報、これに対する人々の反応(自分を含む)を観察しています。

もちろん、これには国際関係や日本政治も大いに関わっていますので、自然とそちらへの興味も高まっていきます。

皆さんは現在の日本国内の政治についてどんな印象をお持ちでしょうか。

政権を担っている自民党、これを批判する野党、それぞれに対していろんな見方や意見を持っている人がいます。

そして、その集合した結果がまさに「今」目の前にあるわけですね。自分の人生は、そういった国の政策の中で今も進んでいるし、関係ないと感じていたとしても、実はそんなことは全くなく、大袈裟でなく自分に関係しているわけです。

つい先日、自民党の総裁選がありましたね。4人の候補が出て、政策論議を交わし、全国の自民党関係者の投票(1回目)が行われた後、過半数を取った候補者がいなかったので、決選投票で岸田さんが選出されました。

今回の自民党総裁選に対しては、今までで一番関心をもった気がします。

これもインターネットでいろんな情報が手軽に入手できるようになり、今まで当たり前に思っていたことが実は違っていることも多いことに気付かされて、自分から情報を取りに行くようになったことが大きいですね。

特に気になったことは国際問題です。

日本はもう半世紀以上も前の太平洋戦争とか大東亜戦争とか言われる戦争の時のことを責められ続けており、従軍慰安婦問題をはじめとして、いまだに謝罪を求め続けられています。

中には、同じ日本人の中にも永遠に謝罪し続けるべきだ、という政治家もいるわけです。

韓国に行って、像の前で土下座をして謝罪ポーズを取った元総理大臣がいましたよね。

でも実は、従軍慰安婦などという人たちは存在せず、捏造された物語によって日本人は自分たちの尊厳を傷つけられ、さらには自分たちの努力の結晶である血税を奪われているというのが実態のようです。

かつて安倍政権は10億円の支払いをしましたが、その時の合意は最も簡単に覆されましたね。

これが自分の身の回りで起こったことならどうでしょう。決して無関心でいることなどできないですよね。

国際問題は政治の一部ではありますが、私たち日本人が世界の中でどう生き残っていくか、という重要な要素です。

では、私たち国民に何ができるというのか?

国政選挙にしても地方選挙にしても、投票率は依然低い状況です。

今回の総裁選でも投票していない自民党員がいましたね。

まあ、スケジュールの問題とかあるのかもしれませんが。

この選挙の「票」というやつが、いわば「一人ひとりの意識の証」なんですね。

日本は民主主義社会ですが、これは日本国は日本人の意思で運営されるということです。

そして、その「日本人の意思」は、国民一人ひとりの意思の集合体のはずです。

ただ、国民全員による話し合いで物事を決めるなんてことはできないので、代表民主制、すなわち選挙で政(まつりごと)を担う議員を選んで、国民は彼らに自分の生活や未来を託すわけですね。

他人に「託している」のです。

このブログでもずっと触れていますが、人の考えは人それぞれ。

もちろん違っていてもぜんぜん良いのですが、こと国政の運営となるとそうはいきませんね。

それは、国民全体のことを考えて政治を行ってもらうために議員は選出されているのですから。

なので、国民としては好むと好まざるに関わらず、日本の政治に対する関心を向けている必要があると思います。

それを放棄するということは、「どうなってもいい」という意思表示になってしまいます。

人の意識は繋がっている。

実は、選挙の投票だとかいった物理的な関係もとても重要ですが、それ以上に「関心をもつ」「意識する」という世界がとても重要になっていくと思います。

政治は、今を生きる私たちにとっても重要ですが、未来の日本の子どもたちにとっては、もっと大切な意味を持ちます。

特に、冤罪によるバッシングされることが当たり前になっている日本の子どもたちは、教育につけ国際交流につけ、いわれなき批判や侮蔑を受け続けることになります。

子どもたちは素直ですから、それをそのまま真に受けてしまうでしょう。

日本の子どもたちは自己肯定感が低いと言われます。そして子どもたちの自殺が多いのも、そういった「日本国民が置かれている環境」が根っこにあるような気がしてなりません。

とある国の教科書には「日本人は悪者だからぶちのめしても構わない」とイラスト入りで書かれているそうです。

こういった現実をちゃんと知って、自分たち日本人はどうあるべきか、日本の政治はどうあるべきか、国際関係の中でどう行動すべきかを一緒に考えなければならないと思います。

その結果、どの道を選ぶのかはその時の国民の意識が決めますが、認識していない事実はなかったことになってしまい、その虚構を前提に判断することになりますので、とても危険です。

だからこそ、ずっと関心を持って観察していくことが重要なわけですね。

考えや判断の材料が違っていると、当然に選択も間違ってしまうからです。

このたびの自民党総裁選に出馬して、第1回目の投票でもっとも多くの支持を受けた河野太郎さん。

かつて、防衛大臣の時の隣国に対する態度やマスコミに対する毅然とした姿勢には大いに期待させられたのですが、上述の従軍慰安婦問題の元凶ともなっている、父河野洋平の談話については踏襲すると明言されました。

さらには、親族が中国企業への出資関係にあることなどが浮上してきて、一気に信頼できない存在であるとの認識が生まれました。

いずれまた国政選挙がやってきます。

その時、ちゃんと自分の人生を託す選択(投票)ができるよう、また政治を観察することができるよう、政治に対する関心の糸は途切れさせないようにしたいものです。

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