夫婦はお互いに磨き合って幸せになる
古今東西、夫婦仲というのはいつの時代もうまくいかないことの方が多いようで。
でもまあ、お互い好きで一緒になったわけでしょうけどね。
ずっと一緒にいると、嫌な部分も見えるようになるわけで。
意外に自分はそれが許せなかったりするもんです。
でも、向こうも同じように思っているかもしれないし、ほぼそうなんですね。
それは「価値観の違い」「生きてきた環境の違い」によるものだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。
自分にとって「これが常識」と思っていることが、相手にとっては「非常識」の場合もある。
そして、人にはそれぞれ癖があったり、長所短所は当然にある。
それを「俺の価値観に合った人間になれよ」なんて言われたりしたら、相手は生きづらくなりますね。
夫婦ではあるけれども、お互いに1人の人間でもあるわけで。社会の最小単位である夫婦として確立するためには、その構成要素である個々人としてのそれぞれが確立していないと、まず一人一人の幸せが無い。
それぞれの幸せ感があって、それが2人合わさって夫婦の幸せになるはず。
そして、その幸せの定義は、常に変わり続けていくものだと思うのです。
人間は変わります。
変えたくても変われないじゃないか!と言うでしょう。
それもまた事実です。
そう、「自分が思うようには変わらないけれども、自分の意思に反して勝手に変わっていくこともある」
「あの人、変わったよね」
この言葉には、良い意味も悪い意味もある場合がありますね。
潜在意識の中に埋め込まれた生き残るための行動パターンというか、行動の原動力となる価値観とか観念、そして心理の世界ではこれをビリーフと呼んでいるわけですが、これは自分の意識の深いところにあって、基本的なベクトルを持っていますので、置かれた環境や状況の中では、「変わったように見えることもある」し、一つのビリーフが原因となって、また別のネガティブな行動パターンを生み出してしまう場合もある。
まあ、実のところ、本質は変わってはいないんですけど、それをなんとかしようとして、別の癖をわざわざ生み出すこともあると思うのです。
まあ、ビリーフの世界では、心の本質的な部分にある「コア・ビリーフ」とその「考え方」をベースに生まれる妄想の因果関係に縛られた「コーピング・ビリーフ」
こういった「真に現実かどうかわからないはずなのに、自分は真実だと信じ込んでいる価値観」を持っていて、このフィルターを通してお互いを見るわけですから、そりゃ一筋縄でいくわけがない。
でも、ひとつだけ真実がありますね。
そう、「お互いに違う人間で、違う価値観を持っているのだ」ということだけは真実です。
だから、この真実だけは、お互いに受容する必要があるのですね。
だって、これを認めなければ、世界中が同じ価値観で統一されない限りは上手くいくことなんてありえないわけですから。
この地球上、すべての人類が同じ価値感だなんて、逆に空恐ろしいですよ。
何度も言いますが、この絶対的な真実「お互いに違うのだ」をガッチリ受け入れることができれば、お互いに磨き合うことが可能となるのですね。
「違う」ことが大前提になれば、それぞれの価値観やそれに基づく行動は違って当たり前になるはず。
「ああ、こういう考え方もあるんだな」なんてお互いに思えたら、責める理由がなくなりますからね。
さらに言うと、夫婦は強い縁で結ばれている。この別々の人生を歩んできた2人だからこそ、お互いに違うからこそ「磨きあって成長することができる」と言えます。
大事な要素として「合う、合わない」は当然にあります。根本的な相性の問題として。
だけど、これもまた絶対ではない。
いろいろやってみないと、ちゃんと認識できないんですよね。
そういった「経験を重ねることによる人間の厚み」みたいなものが成長する中で、昔は受け入れられなかったことが、いつの間にか受け入れられるようになって、怒りや悲しみを乗り越えることって、結構あるんですね。
だから、「違いを認めること」これはすごく大事だと、今更ながら感じたところです。