「落とし所」なんて最初に決めない

僕は「落とし所」という言葉を物事が始まる前に考えるのは好きではありません。

というのも、「この程度でいいかな」という、理想とも妥協とも言えない現在の自分の思考(妄想)の産物でしかないからです。

すべてのものに理想やビジョンがあるとして、それが達成できるのはずっと後かもしれないし、意外にもすぐかもしれない。

何のために自分は動くのか?

誰のために行動するのか?

何が目標なのか?

一歩進んで「現場」の中で、関係者の様子や状況を感じて「今日はここまでかもな」というのはあるのだけれど、いざことに臨む前に、相手と挨拶もしていないのに、会話も交わしていないのに、表情を見てもいないのに、自分で勝手にゴールを設定するなんて勿体無いと思う。

ある意味、いろんな可能性を諦めて、「自分はここまでしかできない」って言っている気がするのよね。

そんなのつまらない。

世界は変わり続けている。

環境も、人の心も変わり続けている。

笑顔で挨拶を交わした瞬間に「何かが変わる」かもしれない。

いやむしろ「何かを変えるかもしれない」

可能性の存在、どこまでいけるかなんて誰にもわからない。

いいかもしれない。

ダメかもしれない。

でも、まだ何も決まっていないんだ!

結果は今この瞬間がつらなってできた未来にある。

自分の心が未来を決めてしまったならば、ゴールはきっとそこにしかなくなってしまう。

そんなものが可能性を秘めた未来と言えるのか?

人生の夢、大きな目標やビジョンを決めたら、ただそれに向かって「今この瞬間」に全力を尽くせばいい。

結果を求めることは必要ない。

結果は生まれるものだ。

ただ、夢を目指す自分があれば、それでいいんじゃないかな。

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