高知県大川村の「村民総会」に期待!~本物の民主主義が始まる、かも~
地味にニュースとなっている高知県大川村
人口減少やら何やらで村議会議員のなり手がいないという理由で、今後、議会をやめて、村民全員でいろいろなことを決めていく「村民総会」という手法をとろうとしている。
ヤフーニュース<高知・大川村>「村民総会」設置検討を正式表明
ニュースの内容を見ると、なんと大川村の人口は5月末時点で406人!
なんと!うちの自治会の人口の10分の1以下じゃないか!
ということを考えると、決めている事柄はともかくとして、大きな自治会でも総会で物事を決めているのだから、村民総会も全く問題ないと思う。
これまで当たり前だった議会制民主主義でなくなるというだけで、大騒ぎなのかもしれないが、実は私は直接民主制のほうが望ましいと思っている。
それは次のような理由からだ。
まず、朝のNHKのニュースでもやっていたのだが、大川村の議員さんたちの平均年齢は70歳以上。
それも、なり手のない中で「お宅、何とかやってくれんかね」ということでやっている、「まさに住民代表」
ちなみに、「議員」は学識経験者でも政治の専門家でもない。
特に、こういった小さな自治体では、本当に素朴な住民代表の方が多いんじゃないかな。
決してバカにするわけではないけれども、「議員だから正しい判断ができる」わけではない。
もちろん、できるだけ正しい判断をしようとはするだろうけれども、実は「議員が正しい判断をするかどうか」は実は大きな問題ではない。
そもそも「正しい」という判断基準そのものが存在しないと思っている。
「正しい」か「正しくないか」という単なる首長からの提案のチェック機関だけなら、ハッキリ言って無用である。
基本的に、首長からの提案にはそんなにおかしげなものはないからだし、「おかしくないように見えるように説明がされる」からである。
要は、議案を作っている執行部が、よほど正直者でない限りにおいて、自分達の作った議案の不安な部分とか、確証が持てない部分をあからさまに示したりはしないからだ。
それで議会を通ったら、実はそこまでで彼らは安心してしまう。
特に、ここ数年もてはやされている「地方創生」も、実は「行動」の部分がとても大事なのだろうが、議会の洗礼を受けて、「事業を実施する」ことで安心している場合が多いのではないか。
ちょっと話が逸れてしまったのだが、要するに「現在の議員には住民を代表して政策を判断する能力は無い」
あまりにも酷い言い方だが、仕組み的に不可能だと思っている。
議員は、選挙によって選ばれるが、代表民主制の「民主主義なところ」はハッキリ言って手続き的な「選挙」の部分だけである。
住民達は、票を投じた議員に対して、往々にして「あとは任せたね」というふうに「丸投げ」してしまう。
社会環境や時代の要請が刻々と変化し、どんどん複雑化しているのに、「清き一票」を投じたことで責任を果たした気になっている。
これは、日本の社会教育がなっていないということにも理由はある。
政府も、自治体の執行部も、自分たちの思うようになったら困るので、「民主主義とは」とか「参政権の果たし方」とかいう根源的な部分には、あまり触れないようにしてきているはずだ。
口では「投票に行きましょう」だとか言っているが、では、民主主義の重要性について、国民の果たす義務について語っている姿を見たことがあるだろうか?
ハッキリ言って、無いんじゃない?
住民側も自分のプライベートの時間が削られるのは嫌だしね・・・
だけど、人口減少がすごいことになったり、そのおかげで経済発展が厳しくなってきて、自分達の責任が問われそうになってくると、途端に「協働だ!」なんて言い出して、手のひらを返したように「自分達のまちは自分達で作りましょう」なんて平気な顔で責任転嫁し始めるわけだ。
彼らにとってはそういうのが「当たり前」になっているから、「適当なことを言ったり、嘘をついたりすること」に対してほとんど罪悪感を持たない。
だって、民主主義だから「決めるのは住民(代表の議員)」だもの!
さて、公務員の悪口になっているように見えるけれども、実は、民主主義国家の一員である国民、住民にも間違いなく責任はある。
ある意味、公務員が言う理屈も間違ってはいない。
何が足りないのか?
運用の中身が足りなかったんじゃないかな?
そう、表からは見えない「民主主義の中身」が薄っぺらになちゃった。
古代ギリシャの時代から、民主主義という制度は行われているが、実は完成していると言えるでしょうか?
選挙など、制度として仕組み化されているかといって、完成されているなんて思っている人は、浅すぎますよ。
民主主義は、国民や住民の意思を政治に反映させること。
「国民や住民の生活や未来に関することは、住民みんなで判断しよう」というのが根底にあります。
ただ、あまりにも人口が多かったりすると、意見の取りまとめや多数決をとる方法そのものが実行不可能なので、議員のような代表者を選んで彼らに判断を任せようというのが代表民主制。
そう、ただ、手続きをやりやすくするという便宜上のしくみが「議会」なのですね。
民主主義の本質はそこには無いのですね。
さて、人口が406人の大川村
人口的には直接民主制が成り立つと思われる規模の自治体です。
体育館だったら何とか入れるんじゃないですかね。
そりゃ、高齢者の方も多いでしょうから、会場に来られな人がいるのもしょうがないでしょう。
ですが、集まれるか集まれないかなど問題ではなく、「村民総会」が村の意思決定機関となるならば、本当の意味での民主主義を行う自治体がこの日本に生まれるということがとても重要なのです。
そりゃあ、こんな御時勢の中で、さらに人口減少、高齢化も進んでいる土地ですから、決して夢物語を語れるなんて甘いもんじゃない。
ですが、住民一人ひとりが自分の考えをもって、これからの村をどうするか考えざるを得ない、民主主義の根源的な力を得るということは、最初に言った「民主主義の中身」を作っていくというプロセスに入るということです。
なので、実は今一番期待しているのが大川村なのです。
当事者の皆さんは「今さら」自分達の村の運営を考えなければならない状況なりますから本当に大変でしょうが、そこは皆さんの税金で働いている村の職員達が懇切丁寧にわかりやすく教えてくれるはずです。
だって、村民総会で判断するためには、住民が議案を理解していないといけない。
ただ単に、議会が村民総会にすり替わっただけにならないことを祈っています。
そうすれば、きっと「議案をチェックする」以上の「何か」が大川村に生まれるはずだと強く信じているのです。