地方創生 「成果」の定義が間違ってないか?
昨日、農業の世界で地域おこしや6次産業化に取り組む人たちが集まる場に同席することになった。
現政権も「地方創生」といって、地方の人口減少とか持続する生活圏に目を向けてくれたのはありがたいのだが、まちづくりとか地域おこしに対する基本的な考え方がなってないのではないかな?
簡単に言うと、1年とか2年で成果が出せると思っている節がある。
それから、国は「金を出しさえすれば、自分たちの成果は出る」と思っている節がある。
「自分たちの成果」って何よ?
で、とある地域の昨年度の取り組みのお話。
国から補助金が出たので、農産物直売所の先進地を視察したりとかはしたものの、結局当事者である地域の農家のやる気にはつながらず、逆に地域の中で争いの種となり、今はギクシャクしているとのこと。
「関係者が上手くやれなかった」という反省点もあるだろうけど、地元からしたら「国のせいでおかしなことになった」となる
よくよく話を聴くと、「国の補助金をどうやって使うか」で苦しんでしまって、ある意味しょうがないからやってしまったような印象を受けた。
国は今、「自分たちの成果」を出そうとして、地方になんとか補助金や交付金を使わせようと躍起になっておられる。
募集の案内も締め切りまで何週間とかしかない。
そんなんで本当にいい取り組みができると思っているのか?
あわてて消化する補助金や交付金は、使うものにとっては毒にこそなれ薬にはなるまい。
それは、これまでも何度となく繰り返されて来たはずだ。
「まともな成果」が本当に出ているのなら、もう何十年も地域振興してきてるんだから、それなりに成果は出ているはずだ。
にもかかわらず、「地方創生」などと見てくれを変えるけど「中身はほとんど一緒」で「あいも変わらず短期間で慌てて事業消化」させ、「自分たちはお金を出して、税金を使ったことがチャレンジの成果だ」的なスパイラル・ルーチンを悪びれることもなく繰り返すというのは、悪政と言わずしてなんと呼べばいいのか?
こんな国の役人のアリバイ作りのために多くの血税が垂れ流されていることをちゃんと認識しないとね