「問い」はその人の器を表す

またまた超久しぶりの投稿になりました。

日々、いろんな気づきはありますが、最近はアップすべきかどうかちょっと考えてしまいます。

タイトルはこうなってしまいましたが、言いたいことは、「相手の問い以上の答えを先回りして伝えても無駄」という感じです。これは「問い」を発した人を馬鹿にしているのでは決してありません。そして「器」と表現しましたが、それはその人の人格のことを言ってるのではなく、その瞬間に持っている疑問の容量のことを指しています。

「問い」というのは、その人の持っている疑問を解決するために発するものですが、そもそも、疑問があるだけで大したもの。そして、それを解消するために他人に対して発する「問い」が出てくるというだけでも素晴らしいことです。

ただし、疑問について問われた先人は、ついついもっと教えてあげようと親切心を出してしまうことがありませんか?

しかし、まれな場合を除き、たぶん彼には分らないでしょう。それは、「その段階まで至っていないものは理解できない」という世界が存在するからだと思うのです。

これは自分もやっている中国武術でもそうですが、どうしても段階段階に応じたことしか理解できないし、それもまた真ではないんだけど、その地点を通過しないと次の地点へ行けないし、目指すゴールにも近づかないんですよね。

なので、親切心を出してちょっと上の段階のことを伝えたとしても、その前の階段を踏んでいない場合は次の階段を踏むことすらできない場合もあるのですね。

逆に相手を混乱させてしまうこともあるかもしれない。

だから、ちょっと冷たく聞こえるかもしれないけれど、「問われたことしか答えない」のが一番相手のためになるのではないかと・・・

でも、それからしばらくして、「あの時伝えたかったこと」についてまた「問い」を投げかけてくれたときは、とてもうれしいのです。

だから、良い悪い、レベル高い低いは全く関係なく、「問い」の内容はその人の「器」を表すと言える気がするのです。

半面、「問い」が無い、ということは・・・ですね(笑)

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