情報に飲み込まれるか、俯瞰できるか

どうも、ご無沙汰でした。
1月後半からの新型コロナウイルス感染拡大によるパンデミック騒動、そして最近の検察庁法改正をめぐるお祭り騒ぎを眺めていて、ちょっとつぶやきたくなりました。

総じて感じているのは、「野党やマスコミが政府への不信感を煽っている機運が強い」ということです。

人によっていろんな考え方があるのは認めていますので、異論反論があるのはいいと思うのですが、この数か月の国会やマスコミの情報をみていると、なんだか国民の感情を操作して不安を煽り、政府に対する不信感を強めようとしているとしか思えないのです。

そして、その騒ぎとなっている議論がまともであればいいのですが、私のような政治にそこまで詳しくない人間が見ても、「何言ってんの?」って思うくらい疑問がわくようなことを、野党議員やマスコミや芸能人が声を荒げて主張しているんですね。

で、とあるテレビ番組でそう主張する学者に対して、根拠を求める発言がされたのですが、その学者はボヤっとした直感的なことは言うけれども、根拠については全く示せなかったようです。

どうも、以前から政界やマスコミ、芸能界に巣食う陰謀論的な話があったことが思い出されます。

こういった動きを俯瞰することによって、まさにそういった陰謀が実在するのではないかと思わざるを得なくなるのですね。

ただ、怒りや不安、不満などを煽るような情報に感情を動かされて、その情報に飲み込まれてしまうと、そういうところには思いが至らなくなります。

まあ、この国は自由の国ですから、それはそれで別に構わないのですが、それが意図的に作られたデマであったときは、果たしてそれで済むのかな?と思うのです。

いずれにしても、この国は民主主義国家。最終的に国の行く末を決めるのは、政治家を選挙で選ぶ「我々国民」です。

政治に関心があろうがなかろうが、選挙に行こうが行くまいが、すべては国民がその責任を負っているということ。

もうちょっと変な言い方をすると、「この国は国民の意識の集合の結果である」となります。

だから、いろんな個別の議論があったとしても、その是非だけが重要なのではなく、その根底にどのような意識や狙いがあるのか?がとても大事だと思うのです。

わかりづらいので具体的に言うと、「その議論は果たして何を目的として行われているのか?」を深読みする習慣が持てるかどうか、ということです。

人は日々行動しますが、その行動はその人の「心」が起こすものです。

そしてその「心」は、「どういった考え方を土台にして考え、そのような行動を生み出しているのか」というところを意識しないと、見えないものがあると思うのです。

こういった部分に光を当てて、思いをはせられる人が増えてくるといいなと思っています。

この国の国民の一人として。

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