創作作品から得られる気づき2  「感じる」ことができない(ガンダムユニコーン)

さて、この記事はビリーフリセットカウンセリング講座を学んでいる間に仲間と交わした言葉の中から取り上げようと思ったものです。

 

「自分の感情がわからなかった」

受講生仲間の中に数人こういう人がいます。

 

私もそうです(笑)

 

特に私は「感じる」ということのイメージや実感がない上に、理由もなく、漠然となんですが、それがとても怖かったことを思い出します。

自分が過去に傷ついた思い出なんかを思い出すことはもちろん、カウンセリングで口に出すなんてことはとてもできないと思っていました。その傾向は今でもあります。

それは、「他人にそんなところなんて見せられない」という考えなのでしょうね。

ただ、それではカウンセリングを学んでいるとは言えませんから、そこで思いついたというか、やってみたのが「身体の反応だけを感じる」ということ。

まあ、これが良くも悪くもということでもあるのですが、それはまだ検証中なので、いずれかの機会にアウトプットしたいと思います。

 

さて、無意識下の思い込みであるビリーフは潜在意識の中にあり、そのビリーフの根源となっている感覚というか印象は、究極は「思考」や「言葉」では表せないという特徴を持っています。

ただ、それでは言葉による意思の疎通がはかれなくて、クライアントさんも困ってしますので、結果的には一番近いイメージの言葉に翻訳するわけなのですけどね。

要するに、「あなたは、自分が◯◯すると他人から△△される、という考え方を持っているようですね」みたいに。

では、そういったビリーフとそれを表す表現は、どういうプロセスで生まれるものなのか?

どういうことかというと、

 

①なんらかの事件が起こって、自分の感情が激しく反応した

           ↓

②それはどういうことかを言葉にすると、「悲しい」。

 

さて、ここで表現された「悲しい」は、果たして他人に正しく伝えることができるものでしょうか?

 

なかなか難しいことと思います。

 

「悲しい」ということが大体どういう状態なのかということは、感情を表現する「喜怒哀楽」のどれかですから、自分の経験などからもある程度推測することが可能です。

・・・が、感情が激しく反応した、まさに「本人がどう感じたのか」を他人が共有することはできないでしょう。

本人にとっては、「誰との間」に、「どういう現象」が起こって、自分の心に「どんな感覚が生まれた」のか、その実感だからです。

 

実感は、感じたその人にしかわからないのです。

 

だから、人は他人の気持ちを正しく理解することはできないと思っていいでしょう。

だからって、誰も自分の悲しみを理解してくれないなんて、そんなことを言いたいのではないのです。

人は、誰かのために相手の気持ちをわかってあげようとするものです。そこには愛がある。

ただ、もう少し深めるならば、自分が「感じていると思っている」ことが、本当に自分自身で「ちゃんと実感できているのだろうか」、というのが実は今回のテーマです。

 

この記事の最初に、「自分の感情がわからない」という言葉がありましたが、そんなことを話しながら思い出したのが、ガンダムユニコーンで主人公のバナージ・リンクスが口にするこの言葉でした

 

「わからないからって、悲しいことが多すぎるからって、感じる心を止めてしまっては駄目なんだ。俺は、人の悲しさ、悲しいと感じる心があるんだってことを、忘れたくない。それを受け止められる人間になりたいんです。」

 

自分がまだ心理の世界に入る前にこの作品に出会ったのですが、なんだかわからないけれどこの言葉がすごく響きました。

その時は、「感じる」ということが、本当はどういうことかなんて、実は考えたこともなかったんですけどね。

 

このセリフが出てくる背景はこんな感じ。

ガンダムのストーリーは、「ただの普通の人間同士」が戦争に巻き込まれる理不尽さや悲しさをテーマにしています。

人類が宇宙にスペースコロニーという住処をつくり、そこに移住した人間の集団(ジオン)と地球に住んでいる人間(連邦軍)と間に亀裂が生まれ、それが戦争に発展するのですが、本当はそこには正義も悪もなく、正しい者同士が戦っているという構図です。(野望や利権という人間の業はありますけどね)

まあ、戦争とはそういうものですね。人間はずっとそれを繰り返している。だから、多くの人は戦争反対。

 

主人公がこの言葉をぶつけた相手は、ジオン残党のある艦のキャプテンであるジンネマン。

彼はかつて、連邦軍の虐殺により妻と幼い娘を失った人です。

ずっとその悲しみや怒りを抱きながら生きているわけですが、「ひとりの人」として語る言葉はバナージの心を打ち、失望感に沈んだその心を救います。「ひとりの人」としてはいい人なんです。

ですが、軍の作戦行動が始まると、自分がされて許せなかった、悲しかったことを、今度は自分たちの側が誰かにぶつけてしまうことについて「当たり前のこと」のように語ります。

「作戦に良いも悪いもない。戦争とはこういうものだ。」

これに対して、バナージは「それは違うんじゃないか?!」「あんたは悲しくなくするために人は生きているんだ、って言ったじゃないか!」

「あんたは、今自分たちがしていることをひとりの人としてどう感じているんだ?」

そういう心の叫びから生まれた言葉なんだろうと感じます。

 

人は「ひとりの人間である自分」と「役割や立場上の自分」を使い分けながら生きています。

立場によっては、本当の自分の気持ちを抑えなければならないことはよくあることです。(サラリーマンもね・・・)

ですが、それを繰り返していると本当の自分の気持ちがだんだんわからなくなっていくってことないですか?

 

だって、わかったらやっていけないから

 

苦しくてしようがないから

 

悲しくてしようがないから

 

でも、本当にそれでいいのか?

 

こんな矛盾をいつも抱えて生きていくなんて、重たいですよね。

 

そんな、自分の心に蓋をする生き方に違和感を感じさせてくれるセリフです。

 

私たちは戦争に巻き込まれているわけではないですが、何かを感じませんか?

 

「集団の中の自分」なのか、「一人の人としての自分」なのか。

 

そして、自分の感情を抑えることが当たり前になっていないか。

 

自分を取り戻すために必要なのは、一人の人としての自分の気持ちを認めることなのだと思うのです。

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