手段だけじゃ地域づくりはできないんだな、これが

地方創生と言われてから何年経ちましたかね?

日本全国のいろんな町や村で地域づくりの取り組みがされていますし、その取り組みの事例がテレビなんかで取り上げられることがありますね。

そういうのが流れると、その手段や方法に注目されますが、実は「何をするか」というのはそんなに重要ではありません。

どんなにいいアイディアやテクニックがあっても、それを実行に移す人や集団が機能していないと、何も起こらないからです。

まあ、個人でできることであれば、当事者がやる気を出して、決断して、行動すれば、何かが起こるのですが、これが集団となると大変ですね。

同じ地域に住んでいるとは言っても、人はぞれぞれに観念が異なりますから、集団がある程度の統一された意識をもって連携して動くというのは実は結構大変なことなんですね。

人の心の中にはいろんなものが渦巻いています。

自分の意見と他人の意見あるけど、俺の意見が絶対正しい、とか、なのにあいつは俺の意見をちゃんと聞かない、とか、どうせ私の意見なんて聴いてもらえないんだから参加してもしょうがない、とか、そもそもなんでこんなことをしなければならないんだ、とか。

そんな部分についてはなかなか注目されることがありませんが、実はこういった個人が心の中で感じていること、さらにはこういった「考え方」の根底にあるそれぞれの人たちの「観念」が行動に現れます。

なので、並行して取り組まなければならないことは、地域住民同士の相互受容、すなわち「お互いのありのままを、まずは認め合うこと」なんですね。

「ああ、あなたはそんなふうに考えるんですね」っていう、「単なる事実認識」をできるかどうか?

小さな集団の中においても、いろんな環境の違いやこれまでの経緯の中で、さまざまな価値観が存在します。

それぞれの人は自分の価値観のフィルターを通してものを見て、考えますから、自分の価値観に合わないものは「ダメ」って思ってしまうのです。

もっと極端な場合は「悪いこと」とジャッジしてしまう場合もあるのです。

現代社会は、「善か悪かの二つだけしかない」みたいな変な世界観にとらわれてしまっていますからね。

実は、どちらでもいいものの方が多いんだけど、人は善か悪かのどちらかに分類したがる傾向がある。

そうなると、「俺は正しいけどあいつは悪い」になってしまう可能性がある。

「多数決で決まったけど、あれは絶対に間違っている」とかね。

で、「俺はいつも除け者にされる」とか言う人もいる。

自分が信じていることを「本当にそうなんかいな?」って考えたことあります?

あまりないと思います。

周りの人たちもみんなきっとそうですよ(笑)

地域やある程度の集団で物事を考えたり決めたりするときは、こういった「価値観の違い」があって、「それはどれも正しくも間違ってもいない」ことを認識できるプロセスがあると良いと思います。

お互いの相互受容ができて、自分も他人もそれぞれ考え方や価値観が異なる中で、いろんな見方を知って、いろんな考え方を知って、お互いに人として成長する。

そうやっていくうちに、「みんなで何かやってみたい」って湧き上がってくるのが、僕の理想的な地域づくりの「あり方」ですねー。

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