「ぶれない」って、そんなにすごいことなの?~衆議院選挙に向けて~

さあ、選挙も近づいてきましたが、とある新政党では「ぶれない姿勢」が評価されているらしい。

「ぶれない」っていうと、なんだか信念があるとか、良いイメージがあるらしいのですが、私は全然そう思っていません。

「ぶれない」の反対の意味として、半ば揶揄して使われる言葉に「朝令暮改」という四字熟語がありますが、これは命令が二転三転して一定しないという意味だそうで、要するに部下は困るということでしょうな。

これに対して、「君子は日に三転す」という言葉があります。

君子は一日に三転するくらいでないと情勢にまにあわないのだ、という意味らしいです。

この言葉を松下幸之助が現代風にもじって、「日に百転」という言葉を作ったのだそうです。

松下幸之助というと、私らからすると大先輩にあたり、歴史的には少し前の世代に活躍された経済人ですが、その当時ですら幸之助からすると日本の政治の動きは「十年一日」というふうに見えたそうです。

激しく動く世界情勢の中で、日本が「まさに今」どうあるべきか?

場合によってはスピード感をもって判断しなければならないこともあるはずです。

「臨機応変」という言葉もありますね。

そんな状況の中で「ぶれない」という言葉をありがたがっているなんていうのは、ちょっと信じられないんですよね。

 

それと、「ぶれない」と「日に百転」では、指している「部分」が異なると思うのです。

いうなれば、「ぶれない」方がいいのは「理念」であって「行動」ではないのではないでしょうか。

「理念」とは、その人の「考え方」であって、その人の「生き方」であるとも言えます。

「信条」と言ってもよいでしょうか。

例えば、「国民が幸せになれるように」とか「人が苦しまないように」とかですね。とても根源的なもの。

この「理念」や「信条」が土台としてあって、社会情勢や世界情勢が変化流動する中でどう一手を打つか。

これは、場合によっては全く正反対の行動にいたる場合もあるのだと思います。

このたびの選挙戦でも候補者がよく言葉に出しますが、「戦争をやってはいけない」

当たり前です!

戦争をやっていいなんて思っている人も政治かも日本には存在しません!

でも、あたかも「戦争をしたがっている」と思わせるような言い方をする人たちが存在します。これは詐欺であり、不誠実であり、プロパガンダです。

普通のただの人間同士が、特に憎しみもないのに殺しあう戦争なんてあっていいわけはありませんし、望んでいる日本人なんていないはず。

しかし、そうは言っても一方で、まだ世界連邦と言えるように地球が人類としての一体性を持ち得ない現在、どうしても複数存在する国という器が個別の個性を持たざるを得ない状況です。

人がそれぞれ考え方が違うように、のび太とジャイアンの性格の激しさが異なるように、相手の出方によっては非常手段をとらざるを得ない場合もありうるのです。

さらに、武術にもあるように、実際に相手に打撃を与えることなく、フェイクで制するという高等テクニックも存在します。

国家間のせめぎあいは、そんなに単純なものではないと思うのです。

もっともっと立体的で、柔軟性が必要。それは、「日本の常識は世界の常識ではない」からという理由もあります。

そんな世界情勢の中で、国民の代表として日本の国民を守るすべを熟考し、時と場合によっては厳しい手腕を発揮しながら、「うまく」コントロールしなければならないのが、今から選挙で選ぼうとしている国会議員のはずなのです。

まだまだ世界はそんなに単純なものでも平易なものでもない。

さらに言えば、例え国家の上層部にいる人たちですら、真実を即座に知ることができるかというと、決してそうではないはずです。

そんな、嘘か誠か、正しいのか悪いのか、善意なのか悪意なのか、誤解なのか詐欺なのか、選択によっては両極端な結果を生み出す情報戦の中で、「ぶれない(行動が)」なんて言っていたら、まず何もできないし、国民を守ることなんてとてもありえないでしょうね。

なので、やはり私たち国民は、政治家達の「理念」や「信条」、「その人の生き方」を選挙用に作られたきれいな言葉からではなく、普段のそのままの「人となり」をちゃんと見て、判断しなければならないと思うのです。

本当に、言葉というのは難しいですね。

どこまでいっても、正確な意味を正しく伝えることは不可能。

そんな世界の中で、人として、人間社会として、進化・発展していくためには、「考え続けること」がとても重要なのです。

だから、見た目に「ぶれない」なんて言って喜んでいる場合ではないのです。

 

でもね、「ぶれない」とか「戦争を絶対にやってはならない」って言っている人や政党に限って、「闘う」とか、「共闘」とか、「許さない」とかいう、決して優しくない言葉を乱用しているんですよね。

私はこれこそが、その人や政党の「理念」「信条」の部分だと思っています。

その人の本性は、「闘いを好む」凶暴性を持ち、そして「許すことができない」不寛容な性質を持っていると判断するのです。

そう、これが「ぶれない」その人の本性なのです。

たとえ口でキレイな言葉を並べても、その言葉の奥底にはこういう危険性や不寛容をはらんでいる。

ということは、選挙が終われば、「そういう本性の人として行動するようになる」ということです。

私はそんな人たちは全く信用していないわけです。

 

今朝、スマホを見ていて、今回で政界を引退する亀井静香さんのコメントを見つけました。

政党のあり方について、「・・・人間なんですから、完全に一致するなんてあるはずがない。政治ってのはね、日本を一緒によくしてよくしていこうという連帯感さえあれば、少々の政策の違いは包み込まないといけないのですよ。みんな違うんだもの。・・・」

とても同感する言葉でした。

郵政民営化のときにいろいろあった人ではありますが、こういう考え方なんですよね。

今の野党は、どう考えても「日本を混乱させることが目的」のような気がして、とても信頼するに値しない、むしろいてもらわないほうがいい」っていう印象が強いんです。

亀井さん曰く、人間はみんな違うんだから、政党の中でも議論して、民主主義することはできるわけですから。

だから、10月22日の衆議院選挙では、私たちの政治家の「ぶれない」本性を正しく見つめて、自分達の命や財産、生活を任せられる人を選ばなければならないですね。

さあ、あなたは候補者達をどういう目で見て判断されますか?

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