焚書(ふんしょ)で、なかったことに・・・
「焚書(ふんしょ)」の復刻版の書物が最近目に付くようになりましたので調べてみたら、先の太平洋戦争後に日本を占領したGHQが戦前の書籍をかなりの数、焼却・絶版にしたらしいですね。
その中の数冊を入手して読んでみたんですが、いたずらに戦争を煽るような危険な思想とかは感じられなかったので、あまり焚書する必要性を感じませんでした。
アメリカ合衆国がなぜ焚書という手段をつかって、日本人の頭の中から本の内容やその存在までを消去したかったのか、深く考えてみる必要がありますね。
この「焚書」という行為は、時の支配者による言論・思想統制のためのものらしいですが、自分の都合の良い環境を作り出すためには鉄板なのでしょう。かつての秦の始皇帝もやったらしいですし、ドイツでもナチスが大々的に行いましたよね。
私たちがいろんなことを考えて行動するには、事前に自分が持っている情報が「源」になるわけですが、どうもその「源」の中に残っていては都合が悪かったのではないかと。
日本の子供たちや若者の自己肯定感が低いという問題がかねてからありますが、その原因が日本の歴史教育にあるんじゃないかとかいう話もあります。世界中にいろんな国がある中で日本人の自己肯定感の低さが際立っているとすれば、自分たちのルーツである歴史情報の中からなかったことにされている、操作されてしまっている情報が原因かもしれないなと。
いずれにしても、自分が持っている情報をもとに考えて行動するというプロセスが基本となること、そして焚書された書物が無謀な戦争を煽るような危険な内容でなかい以上、GHQがやった日本の書物の焚書は、アメリカの都合をよくすることが目的でしょうね。非戦闘員の日本人を大量虐殺した東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投下、沖縄戦での一般市民に対する火炎放射器による無差別殺人などを正当化するために、戦前の日本が悪辣な国家であったことにしたかったのかもしれませんね。
最近、これらの焚書された書物が復刻されてきた背景には、本物か偽物かわからない平和の中でのほほんと生きるのではなく、いろんな情報を得て自分で考えられる人間になるべきじゃないか、という雰囲気があるんだろうと思います。
どんなジャンルであっても、そういう前向きで挑戦的な考え方で学んで生きることって、とても大切なことだし、そういう生き方を子供たちに伝えていくべきでしょうね。