脳を使う~認知症の講座を受けて~

今日、職場で認知症の講座を受けてきました。
認知症といえば物忘れ。そう、記憶が失われてしまうというイメージがありますが、これは脳がダメージを受けることで障害が発生することらしいです。
そして、脳の部位によって出てくる症状が異なるらしい。
確か大きく分けて4種類くらいあったのですが、中には幻覚を見るパターンもあるそうな。
壁から虫が出てきたり、部屋の中を子供が走っていったり、何十年も前に亡くなった方が目の前に現れるなど、モノクロじゃなくフルカラーでまさに現実のように見えているのだそうです。
でも、それは現実ではない。本人にとってはまさに現実と同じではありますが・・・

そこで、脱線して考えたのは、「記憶のしくみ」ってどうなっているんだろう、と。
脳が記憶する役割を果たしているのは間違いなさそうですが、考えれば考えるほど、その素材の質は異なれど、パソコンのストレージのようなものとしか思えないんですよね。
HDDとかSSDのようなパソコンの部品と脳は明らかにその素材は異なるんだけど、やっていることは同じ。
では、そこに保存される「記憶」っていうのは、実は電気信号のようなもので、ほぼ同じなのではないかと。

きっと、そんなだから攻殻機動隊とかマトリックスといったアニメや映画の世界で、人間の脳から電気信号で出入りする場面が描かれるようになったんでしょう。
そういうSFの世界も好きですが、今回思ったのは、臓器たる「脳を使うこと」を意識したいということです。
自分を自分たらしめるのは、自分が保有する「記憶」ですよね。
私の名前、親の顔、子供時代の記憶、学んだこと、楽しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと・・・
そういったものが積み重なって「自分」というものが認識できる。

さて、どうでしょう?
もし、記憶が全く無かったら?

外から見たら違いがわからないけど、全く別の人格になれるかもしれませんね。
認知症の場合、最近の記憶が失われやすくなるけど、「何十年前の昔の記憶」はしっかり残っているのだそうです。
これって、古い記憶が記録されている場所は決まっていて、そこはちゃんと機能しているということですね。
ということは、最近の覚えられない記憶のありかはその昔の記憶の場所とは異なるということだと思います。
ますます、HDDのセクタ的なイメージですね。

記憶するときに、自分自身、脳のどこに記録するとかいうことはできませんけど、「脳の記録する機能を使っている」という意識は重要じゃないかな、と。
記憶したいときに、そういう物理的なイメージをすることで、「脳という臓器を使ってる」という感じ。
こうすることで、身体という装置の中の意識をもって、この体を制御しているイメージをより強くすることができるような気がします。
こういう意識がない場合、記憶にしても心にしても、何となくボヤっとした「自分」という一つの塊としてしか認識できない気がします。

そんなぼんやりした感じよりは、自分の脳の機能を使っている感じをイメージすることで、よりハッキリと体の機能を発揮できる気がするのです。

ちなみに、認知症は記憶はなくなるけど感情は残るそうで、認知症の方にネガティブなイメージ、恐怖とかを感じるような情報を与えると、それが即座にその情報を与えた人のイメージとくっついてしまい、顔をみるだけで拒絶反応が起こるらしいです。

記憶はないけど嫌な相手だということはわかる。
要するに、根拠はないけど嫌な相手だと直感的に感じる、ということですね。

ということは、感情が記録されている場所は、また別に存在するということでしょうか・・・

人間の体もまだ解明されていないことの方が多いらしいですが、子供のころから妄想する、自分の心のありか、意識のありかに近づけそうな気がします。

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