絶対に旨いラーメンは存在しない
先日、散髪屋さんで髪を切ってもらっている時の話題
東京から来た友人を地元で人気のラーメン屋に連れて行って食べてもらったら、いまいちだと言われた。
でも、東京のラーメンって、あまり美味しくないよね、という僕たちの感覚。
麺の太さから違うし、出汁や、味付け、こってり感なんかも違う。
変わって、九州にいる2人の友達のラーメンの好みが違うのも面白い。
同じ九州もんなのに、細麺が嫌いとか、豚骨の油が嫌いとかあるらしい。
要するにラーメンだけに限ったことではないけれど、味覚も自分の中に組み込まれている「価値観」の一つだと思う。
子供の頃から何度も何度も食べていると、それが当たり前になっていく。
「美味しい」の基準になると思うのですね。
そして、それを基準に比較し、判断するようになる。
味覚だけにかかわらず、人は人生を生きる中でいろんなものを五感を通じて体験して、いろんな「記憶」を、脳だけじゃなくて身体全体に染み込ませていくんですね。
そこは「無意識」の世界だと思うんだ。
その体験や記憶から生まれる「感覚」で、瞬間的に判定する。
要は「自分の習慣に適合しているかどうか」
適合している場合は「コンフォートゾーン」にいられる。
「そうそう、これよ、これ」って思えるもの。
でも、それはすべての人に別々に存在する。
だから、番人が上手いと認めるラーメンなんて、この世に存在しないと思ったのである。
だけど、そのコンフォートゾーンに対する価値観を打ち破ったら、もっと新しい価値観が広がっているんだろうな。
あとは、自分が精神的に打ち破るか、環境の変化などによって外的要因に動かされるかのどちらかなんだろうな。
これもまたその人の運命とも言えるのかもね。
なんて、ラーメンの話から妄想した次第。(でも、まだ続きがあるんだけどね)