新年の気づき やりたいことはとりあえずやって(やらせて)みよう
新年、あけましておめでとうございます
去年は、黙して行動の1年でした。
「あり方」が大切であることは間違いないですが、「あり方」の変容がどこに現れるかというと、「行動」です。
人間の行動までのプロセスの始まりは「発意」です。
「やろう」「やりたい」「やるべきだ」
いろいろあるでしょう
ですが、その行動の先には「結果」がありますから、人はつい未来を想像してしまうんですね。
どういう結果になるのか。
これは行動を起こす本人からすると、「成功するか、失敗するか、わからない不安との戦い」です。
よく言われますが、「やってみなけりゃわからない」。
正論です。というか、自分自身、確信しました。
成功するかどうかだけじゃなくて、それがやる価値のあることだったのかも含めて、やってみないとわからないんですね。
行動すれば、それが成功しようが失敗しようが、「自分の」体験となり、確信となる。
「自分の」という、そこに価値があると思うのです。
表題のテーマの括弧(「やらせて」)を書いたのは、親だったり上司だったり、先達者が自分より後進の者に対する姿勢の問題。
ついつい相手のためと思って自分の経験でアドバイスをする、モノによっては「やらせない」ようにする。
まあ、明らかに怪我や命に関わるようなことであれば、それもありかもしれないけれど、でも本人にとっては大問題です。
人間は「やったことのないこと」については、実感がありません。
だから、わかったふりをしているけど、実はわかっていない、という状況を作り出してしまうのです。
この差は歴然で、天と地ほどの違いがあります。
知識で知っていることと、体験で身につけたものとはそれほどに違いがあるわけです。
これが私の昨年の体験に基づく実感です。
これは、こうやって文字にしているけれども、決してその確信は伝わることはないでしょう。
人は体験しないとわからないものです。
ぜひ、なんでも思いついたことはまずやってみてほしいし、特に子供たちにはやらせてあげてほしいのです。
体験が多いほど、きっとその人の人生は豊かになっていくはずです。
人として成長するために。
もちろん、行動の元になる「あり方」はその行動のベクトルを決めますのでとても重要ですが、それは他の記事で。