演歌の呪い〜そこにずっといるの?〜
子供の頃、親がNHKの歌番組を観ている時、演歌が流れていたのを覚えています。
皆さんは、演歌に対してどういうイメージを持っていますか?
演歌だけじゃなく、歌は人の感情を表現したものが多いですね。
特に演歌は、悲しいこと、苦しいことを頑張って耐えていることの悲哀をうたった歌が多いというのが僕のイメージです。
男と女の、ちょっとエッチな歌も多いですね。
マスコミが好きそうな浮気とか不倫の歌もね。
不倫や浮気はタブーとしてバッシングを受けるのに、その気持ちを表現した歌は許されるんですよね。まあ、いいですけど。
先日、子供が遠く離れて暮らしている田舎の親の想いをうたった「帰らんちゃよか」という歌を聴きました。
九州の方言でうたうこの歌は、「自分たちは寂しいけど、心配して帰ってこなくてもよいからね」ということを、何度も何度も歌い上げます。
この歌の裏には「とっても寂しいよ」という本音があるんですね。
だから「帰ってこなくていいよ」という言葉の裏には「本当は帰ってきてほしいんだよ」っていう心の叫びが込められていると思うのです。
その矛盾に苦しむ親の心に共感する人は多いんでしょうね。
僕は「その気持ち」はとっても大切にしてほしいと思います。
地方の人口減少が続き、若者が都市に出て行く傾向は未だにあります。
ここ(田舎)にいてもダメだから、都会に出て頑張りなさい。それがあなたのためだから、うちのことは心配しなくてよいからね。
と。
そんなことを言われ続けて後戻りはしづらいですよね。
本当に田舎はダメなのか?
本当にそうでしょうか?
まあ、そこの部分は今回は置いておいて、本日のテーマは親の心の問題です。
この歌のように、本音は寂しいんだけど、そんなこと言えない、って自分の感情に蓋をすることを続けてしまい、その感傷にどっぷり浸ったまま自分に酔ってしまうのは違うと思うのです。
これは実は自分にも覚えがあるんです。
気がつくと、切ない歌に共感してしんみりしている自分がいる。
でも、「そのまま」を良しとすると、その切なさに居ついてしまうんですよね。
おれはこういう人間
おれはこういう人生
でも、それって、本当にそうでしょうか?
どんな環境にいても、どんな過去があっても、今を楽しんで生きることが大切だと思うんですね。
だって、切なさを感じるのは、幸せを求めているから
そうなれない自分を切ないと思っているから
人間だから、感情はあっていい。
切ない歌を聴いて、涙してもいい。
でも、そこに居続けるのは違うと思う。
今感じた感情は、それでいい。
でも、それだけじゃない。
こういうことを意識していることが、自分の幸せ、周りの人たちの幸せに繋がるんだと思うのです。