良くも悪くもイメージの力は作用する
久しぶりの投稿は中国武術 意拳のことについてです。
近々、意拳の術理をベースにした健康づくり運動の講座を始めようかと思っていますよ。
さて、意拳はその名称の如く「意」すなわち意識、イメージの力を大切にしています。
先日、中国・九州の仲間たちと練習をしたのですが、練習を重ねるほどに「イメージの大切さ」を感じます。
すなわち、「イメージの仕方によって、自分の身体の動きはいかようにも変わる」ということ。
そして、そのイメージはどこに作用しているか。
それが「潜在意識」なのですね。
「無くて七癖」と言われますが、本人は「無い」と思っても実は7つくらい癖はある、っていう意味だったかどうだったか・・・
潜在意識とは無意識、とっさに、つい、そう動いてしまう。
もっと大きく捉えると、つい、そう反応してしまう。
心も身体も潜在意識に支配されているといっても言い過ぎでは無いのですね。
なにしろ、潜在意識は人間の心の95%を占めていて、本人には潜在意識を認識することはできない。
「見えぬものでもあるんだよ」(金子みすゞ)
我が故郷の詩人 金子みすゞの詩ではないですが、潜在意識とはそういうものです。
普段自分でコントロールできるのが残りの5%の顕在意識。
自分の意識(心)のたった5%しか制御できないというのが私たちなんですね。
武術やスポーツなど、一瞬一瞬の反応スピードが勝負となるものについても、「潜在意識の中に入っているもので」制御されていると言っても良いでしょう。
ちょっと想像してもらえればわかると思いますが、私たちは日々、どれだけのことを意識してやっているでしょうか?
実は、ほとんどないんじゃないですか?
じっくりと慎重に思考で制御しているなんてことは、「無い」と言ってもいいと思います。
方向性は思考で決めますが、
歩く
とか
走る
とか
手を伸ばして物を取る
とか
を、いちいち思考で細かく吟味しながらするなんてことはしていないはずです。
ここでこの筋肉をこの方向で動かして、次に・・・
なんて、こうやって文字にすることすらできないですよ
はっきり言って
できません
では、どうやってその潜在意識に効果的な動きをプログラムしていくか
意拳では、練習時間のかなりの部分を站椿(たんとう)という身体の動きを止めた状態で行います。
創始者の言葉によると
速動は慢動に及ばず
慢動は不動に及ばず
なのだそうで、空手とか柔道とかの練習と比べると、ただ突っ立っているように見えるので、「何してんの?」って思われると思います
もちろん、自分もかつてはそう思うところもあったのですが、ビリーフリセットで人の心理を学び、マインドフルネスで潜在意識のコントロールを学んだことで、意識の書き換えこそがすべての根源なのだということに気がつきました。
そう、人間は自分では見えない潜在意識にものすごく強く支配されているということ。
そして、イメージの書き込みは、瞑想のような静かな状態で効果的に行われるということ。
もちろん、運動練習などでよく行われる動的な反復練習もそういう効果があるとは思いますが、拳術の練習を動きを止めた状態で行うことを最重要とする意拳においては、さすがに意拳という名前だけあって、他の武術よりも「意識」に対する認識度は高いのだと思うのです。
なぜなら、動いていたのでは、身体からのフィードバックが常にあるために、イメージを効率的に潜在意識に書き込むことができないからだと思います。
イメージ=現実
とも言われます。
梅干しを思い浮かべると、口の中に唾液が出てきます
現実にすっぱい梅干しが口の中にあるわけないのに、なぜ?
それは、脳がイメージしたものに「身体が現実として反応してしまう」からなのです。
と、いうことは、です。
効果的な身体操作を生み出すイメージをすれば、
そのイメージが原動力となって「効果的な身体操作が可能となる」ということなのです。
この「効果的な身体操作を生み出すイメージをすれば」ってのがキモなのですね。
ああ、それで先生は、何度も何度も同じことを指導してくださっていたのだな、と。
6年も経って、やっとそれが実感できてきたところですね。
とはいえ6年練習してきたことによって、
イメージの仕方によって、かなりの早さで身体操作は変化する
という
実感
が得られたというのは、ものすごく大きな成果だと思っております。
このことは、武術の修練のみならず、人のあり方や考え方にも当然に影響大ですから、これからは、望む方がおられれば、お伝えしていきたいと思います。