愚痴は溜め込まないで吐き出せ!カウンセラーを活用して上手に生きろ!
私の知人が自死しました。
はっきりとした原因はわからないのだけど、仕事で疲れていたようです。
人が自ら死を選ぶのだから、単にしんどいとかではなくて、上司や部下との人間関係とか、クライアントとの関係、成果主義との葛藤なんかが積み重なって、もうどうにもならなくなってしまったんじゃないかなと想像しています。
僕は今生きているけれど、つい2年前にそんな状態に陥ってしまったから、少しは分かる気がする。
僕はその時にメンタルの世界の扉が見えてきて、本当に何もわからないけど藁をもすがる気持ちでその扉を叩いた。
当時は、正直言ってカウンセリングなんて、なんだか「男として負けた気がしていた」
誰かに話を聴いてもらうとか、誰かを頼るなんてことは、男として恥ずかしいことだという強いイメージを持っていた。
これが人生の環境の中で作られるつまらない価値観、ビリーフでもあるわけだけど、BRC(ビリーフリセットカウンセリング)を学んでいく中で、日本の男性の多くがこういった「根拠のない男像」とか「人生観」にとらわれていることを感じた。
そういう観念でうまくやっている人もいるけれども、その人の価値観はその観念を正当化するから、逆に上手くやれない人に対しては容赦なくダメ出しをする場合が多いんじゃないかな。
すなわち実は、しんどい人は自分の観念で自分を苦しめ、上手くやれている人は周りの人にその根拠なき正義を押し付けて誰かを苦しめているかもしれないわけだ。
まさに悪循環・・・
そして、その本体は「考え方」、すなわち「観念」であり、僕たちが扱う「ビリーフ」に過ぎない。
「人が抱えている考え方」であって、「人そのもの」には何の問題も悪いところもないということなのだ。
だから、「自分のマインドセットはどういうものなのか?」については、悩んでいる人も、うまくいっている人も、知っていた方が良いのだと思う。
まあ、そうは言っても、うまくいっている人はどんな状況であれ「自分は悪くない」「自分はまともだ」と信じ込んでいるだろうから、なかなかこういう話には興味すら持たないだろうし、むしろ批判的な立場を取る場合が多いよね。
「何とぼけたこと言ってんだ!そんなのは弱くてダメなやつの言い訳だ!」みたいな・・・
けれども、組織をマネジメントする立場にある場合、部下や仲間たちがオドオドして自信を失って仕事をしているようであれば、それは「彼らが何に怯えているのか?」について知ろうとしなければならないんんじゃないかな。
人の能力は皆、均一ではない。
個性、得意分野と不得意分野、好き嫌い、10人いれば10人違う。
その違いこそが、組織としての大きな力になることを忘れてしまうと、自分の価値観に合うタイプの人間だけを評価してしまって、その結果いつのまにか組織のバランスが偏ってしまって、組織全体としての力が落ちてしまうという皮肉な結果につながってしまう。
チームスポーツでも、スター選手ばかり集めたからといって、いつでも勝てるかどうかはわからない。
目立つ動きをする者がいれば、それを支える人間も必要だということだ。
では、それをどういう評価基準で評価するのか?
これが簡単ではないですね。
例えば「営業」という同じ価値基準で評価できる部署では「営業成績」だけで測ることができるが、「経理」とか「総務」とか、別の部署の人間も混ぜて評価するということは、とても難しんじゃないかな。
これは、評価する側だけの問題ではない。
評価される側も、「評価」というものがそんなに信頼できないということに気づいておく必要がある。
会社の評価は絶対的に正しいわけじゃない。
上司の評価も絶対的に正しいわけじゃない。
単に評価する側の観念から見てどうなのか?だけの話なのだから。
ここで、話を戻せば、10人いれば10人の価値観があるわけだから、結局、人間や組織がする評価などというものは、その程度のものと言える。
そんな根拠のないものに振り回されて不安を感じたり落ち込んだりするなんてのは、まったくもってもったいないと思うのだ。
では、評価というものに真正な価値がないとはいえ、そういうシステムの中で生きなければならないのが現代人の宿命。
なので、「上手く生きる」ことがとても大事になる。
「正しく生きる」とか、「良く生きる」とは違う。
この言葉をどう感じられるかわからないが「要領良く」というのがニュアンスとしては一番近い。
でも、私が言っているのは、「要領さえ良ければ」という意味ではないということはわかってほしい。
感覚を言葉にすると、途端に別の意味を持ってしまうので厄介なのだけれど、そこはまた自分でも考えてみてください。
また話を元に戻せば、要するに「他人や組織がしている自分に対する評価など、社会という大きな器の中では絶対的に正しいわけではないんだけど、そういうシステムの中で生きざるを得ないだけのこと」なのだ。
だから、そんな確実といえない評価なんぞに心をとらわれて、不安や恐怖に振り回されるなんて、「時間の無駄」以外の何ものでもないわけだ。
私が言う「要領良く」というのは、「こういうことを知っておいた方が良い」ということなのです。
ただ、人間は「自分の観念」について自分の頭ではわからないので、カウンセリングを利用するというのが良いと思うのです。
要するに、前提として「観念の違うもの同士が上手くいくわけない」ということがあるということです。
今も昔も、人が一番悩むのは「人間関係」です。
だから、上手くいかなくても「自分だけのせいじゃない」わけですね。
逆に言えば、要領良くやろうと思えば、相手の観念を知って、それに合わせるかたちでやれば、上手くいくということですね。
そしてそれは、「ただ、それだけのこと」なわけです。
良くも悪くもない、「ただ、それだけのこと」
そんなものを気にしすぎて、日々悩んでいるのが日本の男たちなのかもしれませんよ。
何度も言いますが、自分の観念(ビリーフ)を知ることは自分1人ではできないので、ぜひカウンセラーを活用すべきだと思うのです。
自分の目玉では自分は見えない。鏡を見て自分の姿がわかるわけです。カウンセラーは鏡になります。
孫子の兵法的に言えば、「己を知る」ことは勝利の第一条件です。
そして、己を知るためには、「自分が持っている考え方」を「見える化」する必要がある。
それを引き出してくれるのがカウンセラーなのです。
愚痴があるのは悪いことじゃない。
他人と違うのは悪いことじゃない。
「他人との違い」「観念の違い」「価値観の違い」から不満が生まれます。
ある意味、不満があるということは、他人とは違う独自性を持っているとも言えるのです。
あなただけの「もの」を。
きっとその「もの」はどこかに生かせる場所がある。
輝ける場所があるはずなのだ。
だから、早く知るべきなのだ。
「それが、いったい何かのか?」を
愚痴や不満、不安や恐怖は、本当の自分を探すための道標のようなものだ。
吐き出さずに自分の中だけに溜め込んでいると、道も見えず、何もわからないままにその不安や恐怖に振り回されてしまう。
気軽にカウンセリングを受けた方が、実はスマートな気がするのです。
ただ、自分の「潜在意識的な考え方」を知るだけですから。
スティーブ・ジョブズもやっていたマインドフルネスは、仏教の禅からきているそうですが、これも自分の本当の気持ちや直観を知るためのものです。
全ての感情、行動は「観念」から生まれ、そして観念をベースにした「思考」から「行動」につながっていく。
実はカウンセリングを受けるということは、自分の中にある小宇宙を科学的に分析して自分の特性を知るということでもあるのです。
表現が飛んでしまいまいしたが、私はそう思っています。
日本における「カウンセリング」という言葉の意味が、精神医療の手法の一部としてイメージされているところも、実は勝手な思い込みに過ぎないのですけどね。