幼い頃の「純な勘違い」がビリーフになって、いくつになっても自分の心を制限する
ビリーフリセットアドバイザーの風岡志郎です。
改めて名前なんか書いちゃって、とは自分でも思いましたが、まあ、よろしくお願いします。
さて、ビリーフリセットの効果について、改めて書いてみようと思いました。
まず、ビリーフとは何か?ということからですが、「ビリーフ」とは潜在意識の中に刻み込まれた「思い込み」のことです。
第1のポイントは「潜在意識の中に刻み込まれた」というところです。
潜在意識とは、自分の心の大部分(95%もあると言われている)を占めていて、にもかかわらず自分では認識できません。
よく、心理学の世界では人間の意識を表すときに氷山のイラストが使われることが多いですが、要するにこういうことです。
自分が認識できる顕在意識が水面の上にのぞいている部分。自分では認識できない潜在意識が水中に隠れている部分。
その割合は5:95くらいと言われていて、要するに自分では認識できない潜在意識の方が圧倒的な力を持っていると思ってください。
だから、わかりやすく極端に表現するならば、顕在意識でいくら右の方向に行こうと頑張ってみても、潜在意識が左にいきたいと思っていたら、「結局左に行ってしまうことになる」ということです。
信じるか信じないかはともかく、理屈ではわかると思いますが、では現実に、普段私たちにはどう見えているか?
こうです。
そう、現実には水面から上の部分しか存在しない世界しか見えていない、逆に言えば、水面の下には何もない世界しかないのです。
だから、「なぜかわからないけど」自分が思った方向に進まない現実ばかりが繰り返されるわけです。
実は、水面下の潜在意識が自分の運命を握っている。でも、それを認識することはできない・・・
なんて理不尽なことでしょう。
さて第2に、じゃあ潜在意識の中に「何が刻み込まれているのか?」ということです。
これが「自分では認識できない思い込み」である「ビリーフ」なわけです。
認識できない潜在意識の中にあるから、ビリーフも認識できません。
でも、確実に存在して私たちの人生に大きな影響を与えています。
このビリーフは、特定の個人に対する決め付けに始まり、世界観や人生観、否定的な自己イメージだったり、俗に言われるマイルール(人によって程度に差がある)みたいなものなど数種類に分けられます。
第3に、ビリーフは数種類に分類することはできますが、ビリーフはその人だけのオリジナルなものです。
それは、「その人が作り出した」という点で絶対的にオリジナルなのです。
だから、本人にしかリセットすることができないのです。
↑このことについて書いた別の記事があります 潜在意識の中のビリーフ(思い込み)をリセットするのは誰か?
第4に、潜在意識もビリーフも自分では認識できないと言いましたが、それは「一般の人が日常的には」ということで、認識はできないけれども「感じることはできる」という妙な説明になります。
そして、この「感じる」ことによってアプローチをすることができるようになります。
「感じる」の第1歩は、自分の感情の存在を認めるということから始まります。
喜怒哀楽。人は感情の動物と言われます。
でも、教育やしつけによって、人は感情をコントロールすることを学びます。
ですが、実はコントロールしているのではなくて、ただ単に「抑えている」「なかったことにしている」場合が多いのです。
「怒ってはいけない」
何か嫌なことをされたときに「ムカッ」ときたとします。この「ムカッ」を表情に出さないようにするのがコントロールだと思いますが、よくあるのが「ムカッとしないようにする」、というヤツです。
「いかんいかん、平常心、平常心」みたいな。
わかります?「ムカッ」が完全否定されて「なかったことにされてしまう」
こうやって人は自分が今何を感じているのかわからなくなっていくわけです。
でも、間違いなく在るんです。
だから苦しいんです。違和感なんです。同じことを繰り返すんです。
第5に、感情は潜在意識へのアプローチの鍵ですが、その感情の発生源が実はビリーフなのです。
だから、感情がわからないと「ビリーフがわからない」んです。
ビリーフを言い換えるならば「観念」とか「価値観」とかでしょうか。
「定義」というのが一番シックリくるかな。
ビリーフリセットはこの「定義」を検証します。
「定義」は「真実」ではないことがほとんど。
定義とは人が思考するために作り出すもの。何も定義しない思考は難しいですね。
そして「真実」とは簡単に言葉で説明できるもんじゃない。特に、人の価値感や善悪なんて、決して一言で言い表せるものじゃないです。
でも、普段私たちは簡単に言いますよね。
あれは善だ。これは悪だ。
この世が本当に善と悪の二つだけに分けられるのでしょうか?
そんなことはない。
その中間のものだってたくさんあるはずだし、どちらともいえないものの方が多いんじゃないですか?
なのに、人間は言葉にするときについつい2元的な表現になってしまう。そのほうが思考が楽だから。
さて「果たしてその価値感は本当ですか?」ということです。
普段ついつい当たり前のように思っている自分の価値観や定義、それって真実なのでしょうか?
さらに、この定義が人によって異なるから、人間関係がギクシャクする。
あの人は「これでいいかもしれない」けど、私は「こうじゃないとダメ!」ってなると、そこにギャップができて怒りや不満が生まれる。
そこに「生きづらさ」が生まれるということです。
では、この人によって異なる価値観というか観念というか定義はどうやって生まれたのか?
実はここからは非常に説明しにくいし、ちゃんと伝わらないと思っています、今は。
ヒントは「感じる」でしょうか。
「感じたこと」を「言葉にして」人は思考する。
純真だった子どもの頃は、可能性は無限だが、自分が認識できる世界はあまりにも狭い。
その狭い世界で起こることはすべて「自分の生存に関わる一大事」
だから「本当の一大事」にならないように、ものすごく一生懸命自分の周りを見つめている。
知らないことが多過ぎるから、理解できないことも多い。
特に大人の都合なんてまったくわからない。だって大人じゃないもん。
大人だって自暴自棄になったり、理不尽なことをやったりするなんて知らない。
親は神様。そして絶対的な支配者。
絶対的な愛を与えてくれるものであり、圧倒的な力で自分を制限しようとする存在。
その多感な時期に、何を見て何を感じたのか?
恐怖からは逃れようとする。
恐怖を感じないですむように「ルールを作る」。
処世術と言ってもいいだろうか。
それが、潜在意識の中にずっとずっと刻み込まれている。
そのルールが、定義が、価値観が、自分の思考や行動の原動力として反応し続ける。生きるために。
いつか子どもは成長し、親に支配された狭い世界から飛び出して、別の世界からやってきた他人と関わることが多くなる。
人とは違う定義、価値観。これがあるときに呪いとなる。
人は違って当たり前のことなのに、それを認識できない価値観のぶつかり合いは、人の中に生きづらさを生み出してしまう。
正義と正義の戦いみたいなものか。
自分は正義で、悪と戦っていると思い込んでるけど、実は違う。両方それぞれが正義と信じている。
ビリーフリセットで可能性に気付くと世界が変わる。
「絶対的真実」と思っていた観念が、実は「昔、自分がそう感じただけのこと」と気付いたときに、その「呪い」は「可能性」に生まれ変わる。
自分にとっての可能性。
他人にとっての可能性。
この世界にはあらゆる可能性が広がっていることに気付く。いつの間にか生きづらさが軽くなる。
その刻が「ビリーフリセット」された瞬間なのです。
平成30年5月19日(土)、ビリーフリセット入門講座開催します。
ビリーフリセットカウンセリング創始者の大塚あやこ監修により、プロ目差して勉強中の4人のアドバイザーが講師をつとめます。