この世界は人間だけのものじゃない
ネットを見ていたら、地域猫への餌やり禁止条例に関するニュースを見つけました
京都市で野良猫に餌やりをしていた女性らが、男から「餌やりをするな」「やめないなら街宣車を送り込む」などと怒鳴られる住民トラブルが昨年7月に発生。京都地裁は今年3月、餌やりを妨害した男に損害賠償を命じた。
女性らは、野良猫を保護・管理する「地域猫活動」の一環として餌やりをしていた。被害者の代理人を務めた植田勝博弁護士によると、事件が起きた背景には京都市が2015年に施行した「動物との共生に向けたマナー等に関する条例」があったという。
「条例によって地域住民は、野良猫への餌やりが悪いことである、あるいは犯罪行為であると誤認した。結果として住民同士のいがみ合いが生じ、餌やりへの妨害行為が事件にまで発展してしまった」
※「sippo(朝日新聞社)」の記事を一部を引用
もう何度もこういう記事を書いているのですが、みんなこの世界を人間だけのものと勘違いしているんじゃないかと残念な気持ちです。
私が注目するのは、実はこの記事のもっと根底にある意識の問題ですね。
猫や動物に餌やりをして、集まってくるようになると、うるさいとか、不衛生だとかいうのはわかりはするんですが、「そんなに大きな問題か?」って思うのです。
そもそも、現在のような都市ができたのも、人間が勝手にやったことであって、この地球上にはいろんな種類の生物たちがたくさん生息してきた。
そういう自然界のバランスの中で生かされているはずなのに、人間社会においてはほとんど無視されている。
地球温暖化や異常気象の問題が、時の政治情勢によって顕在化したり埋もれてしまったりして、人間の意識は結局のところわかりやすい経済指標でしか「幸せの度合い」を測れなくなっている気がする。
そして、自分たちの幸せにしか興味がない人間がこの世界を支配する資格を持っているのか?
なぜ、街に野良猫がいて悪いのか?
なぜ、そんなにいがみ合うのか?
大きな視点を持てなくなってしまった生きづらい人間たちが多いんだろうなと悲しくなりました。
「それは、本当に悪いことなんですか?」
人間なのだからこそ、他の動物達のことも考えて、もっと大きな視点を持てるといいのになぁ・・・
山口県山口市の阿知須地域には、猫の命を救うためにクラウドファンディングで猫庭を運営している「てしま旅館」があります。
何回か記事書いてますので、よろしければどうぞ。
てしま旅館の猫庭の猫達
私は会社に住み着いた猫達15匹を面倒みていたのですが、元々社長が野良にエサやりして増えて最初は仕方なくエサやりして次第になつく猫達に情が湧き8年位世話して居ました。昨年社長が亡くなり息子に社長が変わった途端、息子の嫁がそれまで仕事もしたこと無いのに会社に口出し猫が邪魔、エサやるなと自分と大モメして自分は28年勤めた会社を追い出され、猫達も私が退職後夜にエサやりに行くも昼間虐待じみた行為されてるのか人間を怖がるまでになってしまいました。場所は工業団地の材木屋で猫が邪魔になる事はなかったです。
本当にやるせない気持ちで過ごしてます。
轟さん、本当にやるせないですね。なぜそんなことが平気でできるのか、理解できません。しかしながら、必ずそういう人がいるのも残念ですが事実です。保護活動を頑張っているNPOなども増えてるようですし、気づきを広げる情報発信を皆でやっていくことが必要だと思っています。