子ども達を見守る組織があること「そのもの」に意味がある
今日は地域の青少年健全育成に取り組む地域団体の会議に参加しました。
昔から、子ども達が非行に走るのを防ぐために夜の街のパトロールをやったり、交通事故にあわないように通学路の見守りに取り組んでいる地域組織です。
でも、途中で話題になったのは、後継者不足の問題
現在、そのリーダーを担っている人の後任者を見つけるのが困難なのだそうです。
新聞でも、自治会長のなり手がないとか、PTA役員のなり手がないとかいう問題は、多いですよね。
まあ、私は後継者が現れない理由は別のところにもあるんだろうと思っているのですが、今日はそこには触れませんね。
これは「そういう悩みを抱えている人のマインドの問題」でもあると思うのですね。
さて、そうは言っても、今日お集まりの皆さんをはじめ、多くの人たちが地域の子ども達の安全や健全育成に向けて、何かしらの活動をしておられます。
確かに、後継者不足や、最近の親たちの姿勢など、いろんな問題はあると思うんですけど、そういった小さな部分ではなくて、地域とか社会の未来をことを考えて「やるべきこと」「やったほうがいいこと」「やりたいこと」と思っておられるのですね。
自分だけの問題として捉えるのではなく、「未来のことを願って」「子ども達のために」やっておられる。
行動をとらせているのは、「そのマインド」なんですね。
人は考えて行動する。
あまり詳しくないですが、量子論の世界では、人の思いが現象をつくる、すなわちこの世界は人の思いが作り出しているのだそうです。
たとえ高齢化が進んで、今までやってきた活動が減ったりしても、その行動が絶対的に重要なのではなくて、「子ども達を見守ろう」というマインドがあるということの方が、実は重要なんじゃないかなと思ったのですね。
だから、こういった青少年健全育成団体が存在し、そういったマインドを継承していくということはとても重要なんだと思うのです。
こういった組織が後継者不足で消滅してしまうことは、「心をかけるしくみ」が失われてしまうことであり、地域で子ども達を見守ろうという「思い」が消えてしまうことにつながるのかもしれませんね。
まあ、絶対的にそうだとは言い切れませんが、今日はそんなことを感じたのです。
存在するだけでも価値がある。
「人の心を動かす仕組み」って、とても大切なんだな、と思います。
だから、役のなり手がいないから「もうやめましょう」とかになっちゃうのは、とてももったいないことだと思いますよ、本当に。
もちろん、「存在するだけで良い」わけではないですけどね。このニュアンスを正確に表現するのはとても難しいことです(笑)