一票の格差について思うこと~最高裁判官の国民審査~
今週末の22日は衆議院議員選挙ですね。
衆議院選挙では、最高裁判所の裁判官の国民審査がありますが、これまで罷免された例はないそうです。
そりゃあ、普通の国民にわかる分けないですよねぇ。
最高裁の判例を見ている人なんて、極わずかしかいないはずです。
しかしながら、ここ数年の「一票の格差問題」については、「違法」とする判決が出ているので地方に住む国民としてはちょっと気になるところです。
というのも、日本は三権分立となっていますが、この一票の格差問題については、司法が判断すべきものなのかという疑問があるのです。
多くの人は「何を馬鹿げたことを」と思われるでしょうが、民主主義における「一票」とはどういう効果を生み出すかということです。
そもそも国民から税金を徴収し、国民の生活を守るのが国の役割です。
そして、国会議員を選挙投票で選出するのが憲法で国民に与えられた参政権です。
「一票の格差」はこの参政権にあります。
国民一人に与えられた投票権は一票。
選挙は全国を選挙区に分けて行われるので、人口の少ない地方は一人当たりの表の重さが「計算上は」大きくなるという理屈です。
でも、こんなのはただの計算であって、非常に単純な話です。
さて、先にも書きましたが、国の役割は国民の命と財産を守ることです。もちろん人間らしい生活も。
地方と都会の一票の格差が問題視される中、人口減少の急激な進行にともない、ここ数年は「地方創生」が流行しています。
人口減少は何年も前からわかっていたことですが、もうどうしようもなくなって顕在化させるから、手の施しようがないですね。
人口減少は、人間が生まれなければどうしようもない。
未婚化、晩婚化、出生率低下がどんどん進んでいるのに、本当に意味のある対策が取れるのでしょうか。
そんな危機的状況にある中で、一票の格差を単なる数学的に判断しようとすると、人口の少ない地方から選出される議員はどんどん少なくなっていくはずです。
となると、ただでさえ富と人材が集中している都会のためが優先されるということになるんじゃないですかね。
そりゃ、全部が全部ということはないでしょうけど、地方からすると、都会に若者を取られて、お金を取られて、さらに政治の主導者を取られて、極端な見方をすると、「このままじゃ地方がよくなるわけはない」ってことになりませんかね。
また書きますが、国の役割は国民の生活を守ること。
都会にもいろんな問題がありますが、地方から東京を眺めていると、なんだかやるせない気持ちになりますね。
今回の衆議院選挙で行われる最高裁の国民審査。一票の格差の判決を視点に判断したいと思っています。