答えを知っても、「気付き」にはプロセスが必要
世の中にはいろんな「教え」がありますね。
特に神様、仏様が語る宇宙の理は、究極の答えであり、究極の真実であるという前提です。
だから、ある意味、それを知っただけで人生の成功者となる秘訣を手に入れたことになります。
しかしながら、これだけ情報媒体が発達して、仏典なども口語訳されたり、さらに要約されたり、イラストだったり漫画にもなったりして、かなりわかりやすく解説されているにも関わらず、人生で悩む人は減っていないというのが現状ではないでしょうか?
これは、たとえ「知識」として人生の答えを知ったとしても、ほとんどの場合、それを悟ったことにはならないという証拠なんでしょうね。
そう、現在社会において、あらゆる「知識」を手に入れることはできる。
一方で、それを「理解する」というのは、昔も今も簡単ではないのでしょう。
こんなことを書いたのは、先日とある宗教関係者のセミナーで説法を聞く機会があって、ここ最近、カウンセリングや潜在意識のことを学んできたことで、以前は若干眉唾的に受け取っていた「神の教え」が、実はとても理にかなった内容だったことに気付いたからです。
ここでおことわりしておきますが、私は世界の真実を知っているわけでも神の世界を悟っているわけでもありません。
偉そうなことを言っていると思わないでくださいね。
あくまでも、自分のご縁のあるいろんな方面の方たちから入ってくる「情報」が、なぜだか一致するという経験をしているわけです。
どうでしょう?
心理学と宗教は、同じ事を言っているという感覚はありますか?
ほとんどの人は「無い」でしょう。
そもそも、心理学は何を言っているのか、宗教は何を言っているのか、について、それぞれ深入りしてしまう人って、そうザラにはいないでしょうね。
一種のマニアでしょうか(汗)
何の因果か、私は昔から宗教関係者の方のお話を聞く機会がとても多くて、「ほぅ」と感心することはあるのですが、それが自分の中で「真実味」を持っているかというと、実はそんなことはなくて、「そういうこともあるんだろうなぁ」程度の理解でした。
しかし、宗教関係者だけじゃなくて、心理学に関わる人たちや、研究者の方たちから、それぞれ別に聞いた話が、実は同じことを言っていることに気がつくと、途端に「真実味」が強くなってきます。
これにさらに自分の実体験が加わると、まさに自分の中で「真実を悟る」ということになるのかもしれません。
人が人生をうまく生きる秘訣を身につけるためには、時間をかけて理解をするためのそれぞれのプロセスが必要なんだろうな、と改めて思った次第です。