「戦争」とはどの部分を指すのか?
今日、終戦から72年目を迎えました。
正午になって、天皇陛下とともに黙祷を捧げながら、ここ数日の戦争に関する報道のことを思い出しました。
先日は池上さんの番組で「特攻」について特集をしていました。
今朝のNHKのニュースでは、日本軍が外国の船を奪って改造し、医療船にしたことについて流れていました。
その途中で、日本が行なった行為は「国際法違反だ」というテロップが流れました。
でも、これらの戦争に関する報道は、全部、「日本が悪かった」というものでした。
確かに、戦争によって大切な命が失われたことは事実だし、普通の人間同士が殺しあうなんてことはあってはならない。
しかし、「戦争」っていうのは、「人が殺しあう部分だけを指すのか?」と思うのです。
それと、子供の頃からずっと感じているのは、「日本はなぜ戦争をすることになったのか?」があまり語られないことです。
宣戦布告を決断する部分は映画などでも語られますが、その「決断」に至るまでのプロセスはどうだったのか?
どういう国際関係の背景があって、日本は戦うことを決意したのか?それは、本当に本意だったのか?
戦争の悲惨な場面ばかりを並べ立てて「戦争はしてはならない」と訴えるよりも、人間はどういう状況になったら戦争を始めてしまうのかをしっかりと見つめ直すべきではないでしょうか。
そう、戦争経験者がこれからお亡くなりになっていく中で、戦争することの悲惨さよりも、「戦争にならないようにするためにはどうすればよいのか」をもっと日本の立場から深めていくべきです。
そして、先ほどの「国際法違反」の話ですが、太平洋戦争で国際法違反をしたのは日本だけじゃない。
私たちの先人達、それも日本国内の一般市民を無残にも大量虐殺した空襲や原爆のことは、あまりにも語られない。民間人に対する無差別攻撃は絶対にあってはならない、まさに国際法違反そのもののはずだ。
なのに、その暴挙によって人が死んだのは、日本が戦争を始めたからだ。と、そこだけがクローズアップされる。
これが、本当に戦争のことを後世に伝えるということなのか?
殺しあう場面や特攻の場面だけじゃなく、もっと広い視点で「戦争」を見つめなければならないと感じた終戦記念日でした。
人類の歴史は戦争の歴史と言われるように、今でもまだ争いは地上から消えない。
意外に身近な場所にある戦争の種を見逃してはならない。
これだけの非戦の訴えをしても、世界から核は無くならないし、平気でミサイルを発射する国も存在する。
人として、世界を悲しくなくするために生きていこう
どんな理由があったにしろ、人間の業である戦争に命を散らした先人達には心から感謝します。
そして、これから未来の世界を素晴らしいものにしていく義務が今を生きる私たちにはある。
一人一人の人間がお互いを認め合って、思いやりを持てたなら、きっと実現できるという希望を信じる。
その原動力は、人の「心の中」にある。一人一人の心の中に・・・