春闘だけど、給料は上がり続けるのが当たり前なのか・・・
職場の前で配られていたチラシ・・・
全国的に春闘ですね。
今日もテレビのニュースで大手メーカーの賃上げが決定したとの報道でした。
確かに、サラリーマンにとって、給料が上がるのはうれしいことではあります。
給料が上がってうれしくない人なんていないでしょう。
中小はこれから交渉が本格化するみたいですが、しかし・・・
ここ数年の世界的に不透明な景気、進む人口減少、高齢化による介護費用や医療費への支出増大。
果たして給料っていうのは上がり続けていくのが当たり前なのでしょうか?
給料が上がらないのは、社会的に良くないことなのでしょうか?
テレビの報道を見ていると、給料が上がらないことは「絶対的に不幸なこと」というイメージを与えているような気がします。
何度も言いますが、「給料が増えること」は「ありがたいこと」であり、決して「わるいことではない」のは間違いありません。
しかし、逆に、給料が毎年上がらないのは「良くないこと」「悪いこと」「絶望てきなこと」のようにも受け取れるような「言い方」のような気がするわけです。
確かに、戦後の高度経済成長時代があって、現在も企業はその器である「企業という組織の財産」を拡大することが目標であります。
しかし、毎年の株主総会においても、「成長が伸びているのが当たり前」「成長していないのは滅亡への序曲」のような、半ば虚勢を張った「景気がいいです」アピールをせざるを得ないことや、そういった本当だか嘘だかわからないけど、とりあえず「成長している」と言われれば安心、みたいなのは果たして本当の姿と言えるのでしょうか?
そして、そういった成果と認識している数字の上がり下がりだけをもって、「成長」「衰退」、「安心」「不安」と一喜一憂するので果たしてよいのでしょうか?
数年前から叫ばれている「人口減少社会」
マーケットが縮小していく中で、すべての企業が「成長する」なんてのはありえない話です。
もちろん、「まったくありえない」というのも、実は行き過ぎた認識であって、「成長の可能性がまったく無い」と言い切るものでもありません。
ですが、現在の状況は、これまでの「経済成長があるのが必須でなければならない」に未だに軸足があって、常にそのような状況でなければ、「世の中はダメになる」という先入観が強く働いている気がするのです。
果たして、今年「給料が1円も上がらなかった」として、本当に私達は「ダメになる」のでしょうか?
そうではないと思います。
これからの縮小社会、さらにはアメリカやEUなど世界の経済も不透明感を増す中、果たしてそういった現在の環境の中で、「どの程度で満足すべきなのか」というのを見切ることが、本当は自分達にとって真に必要なことではないのかと思うのです。
「自分達の本当の幸せってのはどういうことなのか」
これは誰か他の人が決めることではないはずです。
果たして、そう思っている人たちがどれだけいるでしょうか?
給料を上げてもらわなければ「安心して暮らせる豊かな街ではない」というこのチラシの言いっぷりは、実は不幸せ感を炊きつけているようにも見えるわけです。
こういった、「悪いことではないけれど」が「絶対的に必要なのだ」にすり変わってしまうような、情報操作こそが、実は多くの人を不幸に導いているのではないでしょうか?
どう思います?