アダルトチルドレンは多重人格者? 「純子と摩樹子ふたりの多重人格者」を読んで・・・
アダルトチルドレンは多重人格者?という題をつけましたけど、アダルトチルドレン=多重人格者という意味ではありません。
ただ、この本を読んで、少なからず自分の生まれ育った環境と今の状況を照らし合わせると、この本に出てくる二人の女性との程度の違いはあるにしても、似ている部分が多いことを感じたのです。
この本は、私が通っている整体院の先生から薦められました。
最初は「多重人格者」という言葉が、小説や映画の中に出てくるちょっとオカルトなイメージで、霊の憑依現象だったりそういう内容なのかと思っていました。
ですが、この本に書いてあるのは、そういう視点からのレポートではなく、あくまでも一人のジャーナリストが多重人格という心の病をかかえる二人の女性に寄り添った事実が淡々と語られる内容でした。
この本が世間に出たのが1998年の夏。もう18年も前になります。
なので、この本は新品ではなく、古本です。
本の帯を見てわかるように、著者の滝野さんはあの宮崎勉の精神鑑定書を題材にして本を出されたジャーナリストだそうで、そちらは読んだことはないのですが、とても詳細に二人の多重人格者のことが描写されています。
前置きが長くなりましたが、衝撃を受けたのが多重人格者と呼ばれる人たちの症状がこんなにも奇妙で恐ろしいものなのか、ということです。
「時と場所によって性格が変わる」とかいう生ぬるいものではないのですね。
まったくの別人が出てくるようです。
それも、本人は女性なのに男性が出てくる。さらに一人とか二人じゃない。8人もの別の人格。
そして性格が違うだけじゃない、本人が住んだことも無い地方の方言を使う人格も出てくるのだそうです。
この本の中の二人は、幼少期に親から受けた虐待を発端に、自分を守るために多重人格者になったらしい。
仕事中にも別の人格が現れて大暴れするなど、日常生活を過ごすだけでも本当に大変、というよりも過酷な生活なのだそうです。
最初に書きましたが、この本を読んで、私が幼少期に親に対して持っていた「恐怖感」がよみがえりました。
親と楽しく会話していて安心していると、急に豹変して理由もわからずに怒鳴られたりすることが多かったので、「親の顔色」に恐怖していた自分がいた。
そのトラウマなのかどうかはわからないが、大人になって就職して、自分で稼いだ金で物を買うときにも必ず親に了解をとっていた。それも30超えてもですよ!
「いい大人がそんなこと気にしなくてもいいじゃないか。馬鹿じゃないの」と思われるかもしれないが、その買い物が親の価値観に合わなかったときは後から大変なのです。
時間をかけてねちねちとじっくり嫌味を言われたり、叱責を受ける。
同居していたので四六時中だし、時々緩急つけて思い出したようにやられるから安心する暇が無いんですよね。
いい大人になってからも「そんなことだからお前はダメだ」と言われ続けて生きることがどれほど情けないか。
「ヤ○ザに金払ってこの県内では生きていけないようにしてやる」と言われたこともある。
さすがにこういうことを親から言われたのは辛かったし、何よりも信じられなかった。
本人たちは「厳しく育てた」程度にしか考えていないようだが、こっちは「脅迫され続けて自分を押し殺して生きてきた人生」になってしまった。
最近気づいたのだが、私には「楽しかった思い出」が無い。
いや、その瞬間はもしかしたらあったのかもしれないが、どうしても思い出すことができない。
そして今でも客観的には喜んでも良いことでも、私は喜びを表現することがすごく苦手である。(そもそも喜ぶこともあまり無いが・・・)
褒められても、「いや、たいしたことじゃないですよ」としか言わない。それもむしろ暗い顔になる・・・
決して、褒められて笑顔になることは無い・・・
とある方から言われたことがある。
「あなた、褒められて育っていないね・・・。だから他人を褒めることができないね。すぐわかるよ」って。
今年になってから始まったメンタルの不調で、今までそこまで気にしていなかった「本当の自分と向き合うこと」の苦痛を味わうようになった。
でも、そのキーワードは「潜在意識」とか「ビリーフ」に絞られてきた気がする。
アダルトチルドレンが多重人格者と比較してどの位置にいる存在なのかはわからないが、背景は良く似ていると思いました。
この心の奥深くに刻み込まれた「負の思い込み」をどうやって乗り越えていくかがテーマですね。
「自分が何でこうなってしまったのか?」とアダルトチルドレンになってしまった原因がよくわからない人は、この本を読んでみると、もしかしたら見えてくるかもしれないなと思った次第です。