自分は仕事ができると思っている奴は、なぜ簡単に他人をダメだと切り捨てられるのか
私がこれまで仕事をしてきてとても悔しくて残念に思うことがこの言葉に集約されています。
まあ、ここで書いた「仕事ができると思っている奴」からすると、私は「ダメ」な部類に入ると思うので、負け犬の遠吠えと思ってもらっても良いのですが、実際には彼らの方こそ思い込みしてるんじない?って思うのです。
自分は他の人間より仕事ができると思っている奴らの特徴
1 他人のやっていることはつまらないこと、自分のやっていることこそ価値のあることと思っているし、速攻口に出す
彼らは、「自分のやっていることは本当に価値のあることなのか」という疑念はまったく持っていません。
だけど、他人がやっていることにはまったく勝ちを認めようとしません
自分の考えを検証するつもりもないですから、躊躇せずに他人を攻撃できます。
そして、その「できる技術」の一つであるディベートで、徹底的に相手を論破して喜んでいます。
2 組織で仕事をしているのに、自分は自分のアイディアを実現するためであれば、他部署との連携や段取りを簡単に無視します
本来、知っておかなければならない人達にすら、何も言わずに「できる仲間」だけで、粛々と作業を進めて、まったく悪びれません
「知らないのはお前達が悪い」ってな感じです
3 自分の成果が得られメリットがなくなったら、他部署が関わっていたとしても何の躊躇もなくその仕事を投げ捨てます
「時代が変わった」みたいなわかった風なことを言って、平気で勝手に事業をスクラップしてしまいます。
なので、現場の職員はしょっちゅう梯子を外されるので困ってしまいます
だけど「自分たちは時代の流れにクイックに反応している」だけ、「あいつらは時勢の読めないダメな奴等」なので、まったく悪びれません。トップからの信頼も厚いので、「それで良い」のです
そして、我々「ダメな職員」がもっとも残念な気持ちを持つのは、組織のトップが見てくれだけの「アウトプット」を求める場合、こういう「できる職員」が極端に優遇されるため、本当に価値のある仕事をしようというモチベーションがどんどん失われていきます。
特徴の1つ目にあるように、「できる奴等」は「ダメな奴等」を自分のことはまったく棚に上げて徹底的に非難しますから、自分を検証しながらできれば共通理解を図ろうとする「ダメな奴等」は心を病んでいきます。
そして、中には辞めていく者も出てきますし、現実増えてきています。
人を病ませる「できる職員」は跋扈し、また一人、また一人と被害者を増やすのに、咎められることはない。
どうですかね?この組織。
「できる奴ら」が「組織をダメにする」というのが最近思うところです。
私は、職員それぞれの良いところを引き出して、お互いに助け合いながらみんなでいい仕事をしたい。
そういう雰囲気が満ちている職場にこそ、まわりの社会を良くする力、職員の人間力が生まれてくると思うのです。
人を大切にしない組織は良くないと思う・・・でも税金で経営されているから、民間のようにつぶれはしない。・・・だけど・・・・・・