武士道という価値観は誰のため?

「武士道」と聞いてどういうイメージを持たれますか?

武士階級における道徳体系。武士社会の発生とともに御恩奉公の契約から成る主従関係と,血縁的,地縁的関係とが結合した倫理的規範が成立し,「もののふの道」「武者の習」と呼ばれるようになった。江戸時代に入り,朱子学を中心とする儒教の影響を強く受け体系化され,独自の観念論としての武士道が確立された。それは主君に対する絶対的服従忠誠を基本的理念としながら,農工商三民に対する治者としての精神,行動を強調するものであった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

辞典ではこのような書き方をされていますが、私たちの持っているイメージはどうでしょうか?

七人の侍、武士の一分、用心棒、新撰組、忠臣蔵など、とてもたくさんの映画やテレビドラマがあって、悪いやつも出てきますが、「侍」のイメージは結構美化されて定着しているんじゃないでしょうか。

すごく簡単に言うと、「武士=カッコイイ」というのが一般的だと思います。映画でもドラマでもそのように描かれることが多いですね。

自分も若い頃からサムライに憧れて武道をやっていたりしますので、武道は侍がたしなむものですから、侍=武道=正義=誠実=忠義という価値観は正しいことであり、自分もそうあるべきだと信じて人生を歩んできました。

他人を守るために強くなる。

その力は正しいことに使う。

家族のため、愛するものを守るため、弱いものを守るため。

でも、ビリーフリセットカウンセリングを学んでいく中で、こういう美化されたイメージは心に偏りを生んでしまうとともに、「実はあまり自分のためにはならないし、周りのためにもならない」ということを感じるようになりました。(あくまでも私自身の心の持ちようの話ですけどね。他の方の心の中で「武士道がどういう意味をもっているか」違うと思いますので。ここで語ることは決して一般論ではないことをあらかじめおことわりしておきます)

 

映画やドラマや漫画、武道の師範が書かれた書籍などで、その「すばらしさ」「高潔さ」を徹底的に刷り込んできました。

他人や誇りのために、正義のために、自らの命を惜しまずに無私の心でひたむきに戦い、生きる姿になんど涙したことか・・・

 

サムライの生き方は、人生の理想であり、完成形というイメージを持っていました。

 

しかし、心理について学んでいく中で、「正義」だったり、「誠実」だったり、「忠義」というのは、社会の秩序を保つためにとても必要なことですが、あまりにもこれを美化してこだわりすぎるとどうなってしまうのか?ということに気づきました。

実はこれらの価値観はすべて「善悪のジャッジメント」につながる可能性が高いのです。私のように視野が狭いとですけどね。

善悪のジャッジメントは、「善は良いもの」が強烈にマインドセットされますから、「善でないものは悪」すなわち「絶対ダメ」となるわけです。

ですが、世の中「善」であり続けることができるのでしょうか?

そこまで清明誠直でなければ本当にいけないのでしょうか?

そして、そもそも善と悪の境界線って、ハッキリ明確なものなのでしょうか?

自分の欲求と理想の価値観が自己の中で矛盾を起こし、自分を押し殺すことで頭は満足するけれども、感情はそれを受け止められない。

決して、本当の自分は幸せを感じていない。

「これが正しい」と感じる自分が理想とする価値観にあわせているだけ。

 

実は、正義とか誠実さとかいう価値観は、1かゼロかみたいにデジタルに区分けできるものではなくて、それぞれの人の心の中でものすごく振れ幅のあるとてもアナログな世界ですよね。

あまりにもそういった「自分が素晴らしいと考える理想像」を抱くと、心に偏りが生まれてしまって、自分がイメージする理想的な「善」の人物でないと責めてしまうようになってしまうと、生きるのがとても窮屈になってきます。

そのジャッジメントは、実は「同時に自分も裁いてしまう」のです。

さっき書いた自分の中の感情との矛盾のことです。

他人を批判するということは、自分はその視点で批判されない人であり続けなければなりません。

他人もジャッジし、自分もジャッジする。

そしてその理想として作り上げられた善悪の価値観にそぐわないものは「排斥しようとする」。でも、自分を排除することなんてできませんよね。

私は私。で、私も他人も社会のみなさんも幸せであったほうがいい。

誰かが犠牲になることが前提の幸せなんて本当の幸せとは言えないということに気がついたのです。

本当の自分を押し殺して、外から作り上げられた価値観に従っても、実は納得なんてしちゃいない。

 

そして、この自己犠牲の精神は、統治者にとってはとてもありがたいものだということです。

その精神そのものはとても高潔で尊ばれるべきものだとは今でも思っています。

ですが、その精神が正しく運用されているのかは、最近わかってきた歴史を検証してみると、極めてあいまいなものですよね。

歴史物語の中には、自らの命を賭して国を守っただの、君主の誇りを守っただのという「美談」がもてはやされますが、それが事実なのかは実はわからないわけですから。

 

なんだかこういった自己犠牲の精神というのは「単に、支配者にとって都合が良かっただけ」なんじゃないかと、ちょっと穿った見方もできるようになりました。

イワシの頭ではいけない・・・

少し大人になった気分(笑)

私がテレビや映画の影響を極端に自分の頭に刷り込んで、その価値観に振り回されていたという、人生一人相撲のお話でした!

 

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