残念に思うこと~社会や地域を良くするためには~

久しぶりのテキストだけの投稿です。

自分の考え方が絶対に正しいとは思いませんが、最近の国会の様子や地方の議会、さらに地域に至るまで、視野の狭い方たちが多いなと残念に感じることが多いです。

特に国会では本当に残念なのですが、民進党や共産党など、プラカードをひけらかして自分達の主張をテレビ中継を通じて国民にアピールしていらっしゃいますね。

ハッキリ言って、「国民を馬鹿にしているだろう、お前ら!」と思うわけです。

こういう言い方も古いのかもしれませんが、国会や地方議会は「言論の府」と言われてきてまして、国民から選ばれた議員が意見を戦わして物事を決めていく神聖な場所です。

それを、プラカード見せて、まるで「路上デモ」じゃないですか?

あれを見せて、「自分たちはやるべきことをやっている」みたいな発言をするのは、この国の政に関わるものとしてどうしたものか?

まさに国の一番神聖な場所での「ルール無視の戦い」、じゃなくて「争い」か?

政治家たちは卑しくも国民に選ばれた代表者であり、どちらかというと「国民を導いていく使命を帯びている」はずです。

それは、政治という「業務」的にも、政治家としての「人格」的にも、ではないですか?

あたかもプラカードをテレビに向けてPRすることで、「コレこそが政治の正しい姿である」のように振舞うことは、国家のトップ辺りにいる「導く者」としての資質としてどうだろうか?

この国にはいろんな立場の人がいて、生活レベルや仕事なんかもいろいろ。

だけど、政治に関わる人たちというのは「日本を代表して政(まつりごと)を行う者としての品位」をもって欲しい。

それも、時代に流されて、宣伝効果とか「仕事してます感」を出すことを意識するのではなく、国民の代表として責任をもって「この国がよくなること」を目指して意見も戦わせるかもしれないが、協力もする、といったね。

そこで、見ていて非常に汚く見えるのが、政党の「不変のイデオロギー」ね。

国会ではいつも喧嘩ばっかりしているような、それも予算委員会で従軍慰安婦問題とか質問して、ハッキリ言って「何やってんの?」って思っていますよ。

当然、私はそんな政党には票を投じませんけどね。

まあ、こんなだし、国会の皆さんは地方のことなんて利権のからむ自分の有権者の言葉しか聴く気がないし、「本当の成果」なんて出したいと思っていないのが見え見えなので期待してませんけど、最近思うのは、こういう国会中継なんかの悪影響が地方議会や地域の諸先輩方を洗脳して、日本全国ダメ化してしまっているんじゃないかということ。

本当はこの記事の題は「自分の立場を守るという視点しか持っていない人が多すぎる」でした。

自分の主張や置かれた立場でものを考え、発言するのは確かに重要なことではあります。

しかし、それを一貫して貫徹するとどうなるか?

単なる思考停止に過ぎないわけですよね。

そして、「歩み寄り」も「落とし所」もない、「単なるお互いの立場を守るための戦いのための戦い」

何度も言いますが、確かに自分の意見をしっかり持っているようには見える、間違いなく

でも、そうやって自分の立場で主張することだけが本来の目標であってよいのでしょうか?

最終的に、単なる多数決の結果に結論を委ねるということが、ベターなのでしょうか?

自らの責任やステイタスを保つために思考停止してしまっては、本来の目的である「社会をよくする」「地域をよくする」っていうことにはならないんじゃないですかね。

「全体のために自分はどうあるべきか」を考えたとき、「自分の意見や立場はこうだけど、これを主張しているだけでは物事は動かない」と感じたときに、時として自分の意見を曲げたり、相手を立てたり、頭を下げたり、といった、自己犠牲も辞さない「大義」を持つことも大切と思うのです。

ハッキリ言って現在はこれをもっている人が少ない。

確かに、コレを行使できる人は表面上は「負け」と見えますからね。

ですが、そういう姿を見せ、そういう姿の本当の「大義」を語ることで、「品位ある国、地方、人材」が育っていくのだと思うのです。

尻の青いことを言っているのは十分承知のうえですが、私はこういう魂を持つ人間が増えることこそが、これから必要だと思っています。

確かラグビーの言葉だったと思いますが、On for all ,All for one(一人はみんなのために、みんなは一人のために)、そして石田光成の幟旗の「大一大万大吉」、こういう「理念」を根底に置いて、その上でその時々で必要な言動や行動をするべきだとうと思っちゃうんですよね~

でも、あれだな~、こうやって自己主張をしてみるのも、「自分の意見表明」であり、「他者に対する批判」でもあるので、結果的に自己批判にもつながるのですけれどね・・・

「絶対に正しい答えはない」っていうことだから、ある意味「どの意見も正しい」わけだ。

あとは、民主的に多数決で決まったら、一致団結してそれに取り組む、ってことを徹底することしかないのかな~?

 

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