心のあり方とは木の根っこのようなもの

先日、かつて重度の精神的な病で療養された方とお話をする機会がありました。

今はとてもお元気になられていて、とてもそんな状態だったなんて思えないのですが、強制入院になったり、文字や言葉が受け入れられないなど、私も聞いたことがないような辛い思いをされたようです。

私がカウンセラーを目指していることもあり、そういうお話になったのですが、この方も病んでいるときに病院や診療で何人ものカウンセラーさんのお世話になったのだそうです。

ですが、いろんなカウンセラーの方に傾聴してもらったけど、中にはちゃんと聞いてくれる気もない人がいたとのことでした。

曰く、心が弱っている状態の人は、相手の心のあり方がよくわかるのだそうです。

逆に、症状が快癒に向かうにつれ、そういった相手の心の状態を感知しづらくなっていったそうです。

多分、それを感知する必要がなくなったからかもしれませんね。

 

このお話は私がよくする潜在意識の世界のことなのか、顕在意識のことなのかはよくわかりません。

カウンセラーを与えられた義務を果たすだけの気持ちでやっているとしたら、それは顕在意識レベルでもやる気がない傾聴になってしまっているでしょう。

ただ、その奥の方には必ず潜在意識(95%)がいて、確実に顕在意識(5%)をコントロールしていますから、その人のあり方から生まれている状態であることは間違いありません。

今回お会いする機会があった方のお話から読み解くと、人は対する相手の表面だけではなく、その奥にあるものも見ているし、感じることができるんだということがわかります。

隠しても隠し切れないということでしょうね。表面上は見えませんけど・・・

 

今日の記事の題である「心のあり方とは木の根っこのようなもの」とは、そういうことです。

人はそれぞれ、行動したり、発言したり、表現したりします。これを枝に咲く花とするならば、または葉っぱとするならば、「心のあり方」とは気の根っこの部分。地下に埋って見えない部分ということです。

根っこの部分が弱っていれば葉っぱや花は元気がないし、根っこに毒を宿していれば毒気を放つでしょう。

表向きには隠しているつもりかもしれませんが、根っこに確実に「在る」以上、それは間違いなく行動や表現に現れてくるのです。

だから、青臭いかもしれないが、実は人間の悩みのほとんどが人間関係であるならば、一人ひとりの心の在り方に「思いやり」がしっかりと根付けば、人間関係の悩みってやつはかなり軽減されていくんだろうと思っています。

これは、仕事、商売、地域づくり、学生生活、すべてにおいて当てはまると思うのです。

人を動かしているのはその人の「心」

その中にある「あり方」とは抽象的でありながら、人間の思考や行動の元になるもの。

「あり方」がクリアになって、自分自身を認められるようになって、他人も受容できるようになると、咲く花もまた違ってくるはずなのです。

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