自分のために生きられないビリーフ
今日ネットを見ていて、「自分のやりたいことが見つけられないのは、親からの呪いがかかっているから」という記事を発見した。
それは、「自分で何かを決めようとしたときに、親が違うことを決め付けた」からなのだそうだ。
以前にも書いたかもしれないが、自分にもこれは当てはまる
話は変わるが、今日、ファイナンシャルプランナーに会って、自分が入っている生命保険について意見をもらった。
自分は若い頃からかなり高額な生命保険に入ってきた。
おかげで保険貧乏
でも、それに気がつかないし、いざというときの補償は大きいほうがいいし、そうでないと不安になるタイプだった。
でも、その保険は誰のため?
ってことだ。
だって、自分が死んだあとに残るお金だからね
独身だったときは、正直「親のため」でした
私は大学も地元しか受けさせてもらえなかった。
就職も、県外に民間の内定をもらったにも関わらず、結局県外への就職をあきらめて地元に残ることにした。
その決定に至る理由は、やはり「両親のため」だった。
地方の長男ってのは、そういう人いまだに多いんじゃないかな
そして、自分の中に20代の頃からずっと刻まれているのは、「親は親達の老後のために俺を縛りつけようとした」ということ。
ずっと、ずっとこれがトラウマみたいになっていた。
まさに、「自分は親のために生きるしかない」というビリーフを作り出していたのだろう。
そして、儒教的思想を素直に取り込んでしまったこと。
親を大切にすべき。
確かに、決して悪いことではない
でも、バランスってのがある
けど、加減がわからない
親は自分達のことを中心に考えている人たちだったから、私が親達にとって都合の良い選択をすることを喜んだ
それは、私のためではなく、親達のためだった、と思ってきた
で、生き方そのものが、「自分のために生きることは良くないことで」「他人のために生きることがすばらしい」になってしまっている、今もだ。
で、今日、ファイナンシャルプランナーさんの一言で、保険を一つやめることにした。
自分が死んだあとに、必要最小限でいいんだ。
カウンセラーになるための自己投資もするしね。結構な額になる。
やっと、自分のための人生を歩き始める準備的なことができそうな雰囲気。
少しずつ、少しずつ・・・